入院が決まったのが検査結果が出た午後2時過ぎだった。
部屋に案内された。この時点ではまだ個室ではなくて、普通の病室でもなくて
応急に設えられた隔離部屋?みたいなところだった。
何わからないけれど、たぶん細菌が特定できないからだったみたいな。
そういえば、この半年間の渡航歴も訊かれた。
未開発な場所に行かなかったか?
池や川にはいらなかったか?
え?原因はそこ⁉︎
先ずは抗生物質の点滴を受けた。1時間くらいかかった。
それから入院の諸説明を受け手続きをしてから、入院支度のために外出届けを提出してタクシーで家に帰った。

近所のコンビニの前で車を降りて当分の朝食用のパンと牛乳、オヤツを調達、両親用だ。
二人に入院することを告げ、留守中の注意点等を記す。
父は耳が遠いし、母は適当に何でも返事だけはするので、書き残しておかないと後々大変なことに。
あと、急な時の場合の連絡先も赤文字で大きく書いておく。
食糧の確認、生協の注文用紙の書き込み、
ああそうだ!お寺さんのいらっしゃる日も近づいている。
そんなことをしていうちに戻る時間が近づいてきて、パジャマと身の回り品をおもいつくまま詰める。

私は行きます、治して戻りますので
後は良きに計らえ!の心境 (笑)

病室に戻って、さて!
忘れ物だらけでした(涙)
でも、大丈夫!一階のコンビニは9時までオープンしている。

お薬飲んで、就寝時間です。
心おきなく眠ることにしますzzz





保険といえば生命保険。
若い頃に、知り合い関係やら親戚付き合いやらで親が勝手に加入してくれていた。
でも、私はそんなことぜんぜん知らなかった。

そうしたら、配偶者の母も同じように息子名義でN保険に入っていて、ある時「忘れないうちに渡しておきます」と受け取った。義母は薄給の息子のためにそのまま彼女が支払い続けると言ってくれたが、いくらなんでも申し訳ない。で、お給料から引き落としで配偶者が払っていた。その後、何かの折々にプラン替えもしていたようだ。あと、自動車保険とか、自転車が好きだったので傷害保険それに火災保険とかも。

彼が亡くなった時後悔したのは、私自身がもう少し保険に関して知識を持っていたら!
子ども三人を大学(それも三人全員入学を機に1人暮らし)まで行かせるということは、学費・部屋代(東京のあの狭さと家賃の高さ!涙)・生活費・帰省費用... ... 。
もちろん、親なのでそれを愚痴る気はない。
母に言わせれば、子どもの教育をつけようとしたらお金は貯まらない、
お金を貯めようとしたら、子どもに満足な教育はできない。
本当にその通りで、
配偶者が亡くなった時、通帳にはあまりお金がなかった、という事実(笑? いえ涙!)
だから、たとえ僅かでも保険金って助かった。
私のようにほぼ無職だった者にとっては。
それは使う使わないということじゃなくて、気持ちに余裕を持てるという事実。

60歳前に医療保険と個人の介護保険を勧められた。
年齢のことが一番の理由。
それにこの先死ぬまで一人だし、例え子どもが面倒看てくれるとしても(はぁ?笑)いくらなんでも経済的なことまでは頼れない。
基本的に年金生活者の私にとって支払いは楽じゃないけれど、結局は自分のためと思った。子ども達に残すのではなくて! (これ重要‼︎)

保険ってこんなのいつ役に立つ?と思いながら支払っているけれど、
それに助けられる時は思わぬ時にやってくる。
ま、だから保険なんだけど。
そういえば、昨秋の台風被害でも助かりました^^

そして、保険よりもっと私を支え助けてくれたのは
変わることのない周りの人々との繋がりです。


もちろんここのみなさまにも!
この10年、沢山お付き合い下さりありがとうございました。
これからも、懲りずによろしくお願い致します。






ここは丘陵にあり、家から車で10分くらいで来ることができる呼吸器専門の医療センター。
4階の病室からの眺望は良い、遮るものがないので左右を見渡せる。
病室からは左手の向こうの方には、あべのハルカスが飛び抜けてそびえているのが見える。
右手にはなだらかな山々も見える。
今日はやっと晴れた。ベッドで寝転んだまま窓から見える空を眺めているだけでも退屈しない。

あれこれ悩まなくても上げ膳据え膳、その上毎食が美味しい。
毎回とっとと完食 (笑)
今日のお昼の和え物なんて生姜風味が良い味をだしていて思わず「料亭の味」と独りごちた^^
何の不自由も不足も無いし、健康管理はして貰えるし、退屈しないし、こんなに快適な生活はじめて!
と、娘に自慢(?)したら
「そうやってるとボケるよ‼︎」と言われてしまった。
「ボケるにはまだ早い‼︎」
おっしゃる通りです。

咳はしつこくまだまだだけれど、今朝からは平熱に戻った。
抗生物質のお蔭でCRP数値(細菌感染の数値)がやっと下がってきたので、この治療を続けたら来週には次に進めるでしょう、と言われた。

肺炎は癌、心臓疾患に続く日本人の死因第3位ですものね。
食事の度に咽せている父に「よく噛んでゆっくり飲み込んで。焦って啜ると空気を吸い込んで誤嚥性肺炎になるよ。気をつけて!」と言っていた私なのに、もちろん誤嚥性ではなく細菌感染性ですが^^

治療は、検査しても細菌が何なのか分からなかったのですが、CRPが低下しているので快方に向かっている、ということになるそうです。
有名なマイコプラズマでも、あの(私は予防接種を怠り今回ちょっと悔やんだけれど)肺炎球菌でもなかったです。原因となる細菌が不明なことはよくあるらしい。

肺癌か?の疑惑は、この病院に来る前日の夕方に無くなりました。
夕飯の支度を始めようと寝床から出るといやに熱っぽい、と言ってもポカポカ程度。念のために検温したら... ...これまで見たことのない数字が。
誤作動⁉︎
ちょうど1ヶ月ほど前に体温計を買い替えたばかりだったので、まさか。
再度測定すれど同じ。
41.2℃ですって?
頭も痛く無いし、自分ではそんな熱とは思えない。

でも、これで肺炎決定!と素人の自己診断で、とりあえずは疑惑は消えました。
ここで、両親も本当に心配し始めたようです(笑)
数字の説得力はすごい⁈ (笑)
休日診療も考えましたが、我慢できない熱でもないので(やはり鈍感なのね)一晩様子を見ようと再度の自己診断。


翌朝になるのをを待ち焦がれながら横になってました。
肺炎の診断早く欲しい‼︎


この数日でまた日が長くなりましたね^^







結局、咳止めを一週間真面目に服用しても改善する気配もない。
酷い咳の所為だろう、食べることができなくなってきた。
正確には、食欲はあるのだが作る体力がない。
そんなこと?と思われるかもしれないが、両親の食生活を優先していると自分の事にまで手が回らない。
とは、些か言い訳がましいけれど、もう自分以外の人の面倒看てると先に自分が倒れそう (老老介護の実態です)。
心身衰弱しているのが分かりました。気力も役立たない。
とにかく元気になりたい、力欲しい、と再度クリニックへ。

相変わらず熱はなく喉も腫れて無いので風邪の症状はない。
じゃあ、X線撮影しましょう、ということに。
「何か悪い病気?」
「大丈夫、だいじょうぶ‼︎ そんな心配しないように!」と笑顔。

なのに、画像を前にしたU医師は
「ちょっと気になる影があるねぇ」と、急に深刻な面持ちではありませんか。
言われてみれば確かに薄っすらと白い。
「詳しく検査しましょう」
月曜日に予約が取れたら連絡を貰い専門の医療センターに行くことになった。

白い影、って... ...。
やっぱりアレかな?
アレなら、もうこんな症状が表れているのだから
ステージ...。
U医師に単刀直入に尋ねてみたら、
明確な否定の言葉はなかった。

リンク先のはにゃ。さんも書いてられたけれど、私もガン世代。
国民の1/2が癌に罹患すると言われているのだから、誰もが順番待ちしているようなもの。それが今私にまわってきたんだと、何の動揺もなく理解できた。


私って、たぶん人並み以上に痛みに強いと最近思うようになった。
強いのか鈍感なだけなのか、知らんけど。
それは、肉体の場合も精神の場合も。
だから、手遅れになりやすい。
初産の時もそうで、こんな痛みはまだまだ、もっと大きいのが来ると思い耐えてたら、えらいことになって助産師さんに叱られた。
「何でここまで我慢してたのよ‼︎ 」
だからある意味超がつくほどの安産だったのだけれど^^



閑話休題

もし、だったら... ...どうしよう?

ではなくて何しよう?
何したい?
しか頭に浮かんでこない。

スミマセン、残る家族には誠に申し訳ないけれど
身辺整理や死後迷惑をかけないようにの終活なんて微塵もする気はない。
だって残り僅かな(笑 思い込み激しいです、今おもえば)大切な時間をそんなことに使ってられるもんですか。

早々にこれからすべきことは決まった。
これするために大してないけれど全財産つぎ込んでもいい、くらいに私にとっては超重要。
俄然ヤル気はでてきたけれど、体が衰弱して動く力はない。
早く月曜日になって欲しい、検査受けたい、点滴して欲しい。


悲観的で楽天主義?
楽天的で悲観主義?
やはり自分の主義なのだから 楽天主義でいたい。





37年前の3月4日、第一子長男が誕生した。
それまで一度も入院などしたことが無かったので、私にとって初めての入院生活。
初産で超安産、今思えば本当に天使のような子を授かった。

そんな息子も家庭を持ち、取り敢えずは一人前!
娘に言わせば、兄としてはまったくの役立たずだが、世間的には超一人前!だそうだ。
確かに、私が(もちろん彼にも父親はいるが) 産み、必死に(ではなくて、実際はかなりテキトーに)育てた息子だ(笑笑笑)
かなりテキトーだったことは、いつも事あるたびに心の中で詫びている。誰に?って一番その被害を被っているお嫁さんに。

などと、珍しく自分の子を褒める(って、はぁ? 笑)
とにかく、長男は異国で無事元気に37歳をむかえたようだ。

そんな息子が最近、何かにつけて「お母さんはもう歳やから」と私を年寄り扱いする。
そりゃあ歳だけどさ、そうしょっちゅう言われるほどの年寄りかな?
高齢爺さん、婆さんの世話、細々だけれど楽しい仕事もしているし、孫達と走り回って(追いかけ回して、喧嘩して)いるし、歩くの速いし(せっかちなだけ)、目はイマイチ(いまよんくらい?)だけど耳は大丈夫だし、物忘れはあるけど今んとこ致命的だったりはない(つもり)。


でも、さすがに我が息子‼︎ ここが本当の自慢‼︎
おっしゃる通り‼︎

37年後の今日、
私入院しました。
出産で三度(自身は家で生まれたので)、此の度は四度目です。
あ、まさかの4人目? (って、ホンマに呆けているかも、なのでお気になさらずに...。






ハバナの親子
ハバナの親子
ハバナの親子
今日は何度も涙した。
ニュースを見るたびに胸が詰まって、どうにもできない。
悔しい。
お腹の底から、悔しい。


ハバナでは民宿に宿泊した。
もちろんホテルもあるが、外国人価格で宿泊料は日本と変わらない。
それが一つの理由。
そしてキューバにはCasa Particularという、日本で言う民宿がある。
基本的には家族経営だけれど、民宿と言っても様々で、一軒で何部屋も貸してそれを商売にしているところもあれば、家の空いている部屋を貸しているだけのこともある。

私がCasa Particularを申し込む時に条件としたのは、旧市街地・一人部屋・朝食付き・スペイン語のみ・家族との交流だった。あと、冷蔵庫を使用できたら尚よし。

私はトロント経由で行ったけれど、メキシコシティ経由という行き方もあって、どちらにしろハバナ到着は深夜の0時前後。
予約していたタクシーに乗ってその宿泊先に着いたのは午前1時過ぎていた。そんな時間にもかかわらず、ご夫婦と11歳の男の子がにこやかに出迎えてくれた。
部屋に案内されると、ダブルベッドと冷蔵庫(ペットボトルの水が入っている)、大きな大きな扇風機、エアコン(一度も使うことはなかった)そして何とプライベートのトイレ・洗面所・シャワーまであって、まずこれに驚き^^

奥さんに「他のお客さんは?」と訊くと
「あなただけよ。うちは一部屋しかないの」と言われた(二つ目の驚き^^)

朝食には毎日違う果物のジュース(中でも初めてだったタマリンドは美味だった)、
クレープ、卵料理、ベーコンやハム、チーズにマーマレード、そして最高に美味しいキューバのコーヒー豆を使ったエスプレッソ!!
「おかわりは?」
「他に欲しいものは?」と奥さんのYはいつも尋ねてくれた。
「じゃあ、もし時間があるならここに座って少しお喋りして欲しい」

というわけで、他愛のない話題ばかりだけれど(これ女性の得意範囲)
コーヒーを飲みながらのお喋りが本当に楽しかった。

居間には写真が飾ってあって(これ、日本ではあまり見ないけれど、どこの国でもありますよね、好きですよね)、その一つにとても美しい若い女の子が写っていて思わず 「わ〜、美人!」と声に出して言ったら、彼女が「美人でしょ〜、それは主人の娘よ。今、24歳でスペインに住んでいるの」と言う。

あ、ご主人のJは再婚なんだ。確かにYよりかなり年上みたいだし。
「そうなの、彼は54歳で私は40歳よ。
 私たちは結婚してちょうど4年よ」

え〜っと、えっ!
どう見てもあの息子Eは4歳以下には見えないよね?
もしや再婚同士?
なんて頭中でウロウロしていると
「これ私の息子のTよ。もうすぐ20歳」とまた写真を出してきた。

「Tは数年前まで一緒に暮らしていたけれど、今は自分の父親と田舎で住んでるの。今でも田舎の実家に帰ればいつも会えるよ」
「分かった!
じゃあ、あなたはE君を連れてJと再婚したのね。T君とE君は兄弟」
「そうよ、父親は違うけれど」

そこで、思い切って率直に(こういう時は日本語でないのが有難い 笑)
「今のご主人は何人目?」
「4人目、あはは」
ますます興味深いことではありませんか(って、悪趣味だけれど、これも日本語でないから有難い 笑笑)

「一人目はTの父親で、三人目がEの父親よ。
一人目とは家族のことで上手くいかなかった。二人目はすぐに嫌いになった 笑。三人目があのEの父親でいい人だったけれどお酒に負けた。彼がなかなか別れてくれなくて時間がかかった。Eを護るのに必死だった」

なんかすごいな〜、って思っていたけれど… …。

一日目だけガイドを頼んだH君も両親が離婚して父親と暮らしている、と言っていた。
二日目、元別荘で今は博物館になっているヘミングウェイ邸に行く時にチャーターしたタクシーの運転手の奥さんが偶然にも日本人で、大阪出身、今赤ちゃんを連れて里帰りしてると知り、お互いにびっくり!(彼も数年前に大阪に来たことがあって、すごく懐かしがっていた)
で、行き帰りの車中で色々話していたら
「私には12歳になる息子もいるんだ。結婚はしてなかったけれど」なんて言ってまたまた写真を見せられるし。

しかし、誰一人として離婚を悔やんでいる風でないし、だからこうしてあっけらかんに話すのだろう。
キューバって離婚天国か?!


ま、離婚は男女間の個人的なことなんだから
仕方ない、というか、当然ながらアリなこと。
でも、いつも思うのが子どものことですよ。
頭をよぎるのが、日本での子どもの虐待だった。
ニュースで知る限りは、圧倒的に継父によるのが多い。
(そして、私は継父によって為されることを、ある意味理解している)
誤解なきように言いますが、継父=虐待ではないですよ。
虐待している男は継父が多い、ということ。
ただ、いつも母親の存在を思ってしまうけれど。
お母さんはどこ?

帰国前日が日曜日で、午後になればお店が閉まってしまう。
ハリケーンの影響もあって雨も降り出したので、部屋で過ごそうと思っていた。
午後になってYがやって来て「毎週日曜日はJの母の家に行くので一緒に来ない?」と言ってくれたけれど「それはあんまりよ。迷惑になるわ」。
何度言っても、JもEも「そんなこと気にしなくていい。一緒に行こう」と言ってくれてJのオンボロ自動車に四人で乗った。
すっごい震動! ガタガタだ。飛び跳ねそうだ。
お尻痛い〜(笑)
窓が閉まらないから、雨が入る (笑笑)

母親の家は新市街地にあって近代的な4階建、エレベータもあった(それも普通に動いた! ハバナの目抜き通りにある由緒正しきHotel Ambos Mundosでは乗ってもなかなか動かなくて往生したのに)

90歳になるお母さんFはとても品のある美人!で、もう20年以上前から盲目だ。
Jの姉夫婦と住んでいる。
そこに行くと、またまたみんなが歓迎してくれた。
そして、小学生のEを誰もが心から自分たちの孫、甥っ子として接しているのがよくわかる。
Fお祖母さんも、見えないから彼を引き寄せ、手を握って頬ずりしている。
Eもニコニコしてすっかり甘えている。

とある機会に恵まれて、ある人に訊いてみたら
返って来た言葉はこうだった。
「そうね、確かに虐待なんて一度も聞いたことないですね。
ここでは、子どもは社会の宝という意識があって、
だからみんなで大切に育てようと、そういう思いが強いのだと思います」
もちろん、人間だから感情論で話すと色々とあるだろう。
でも、「お互いに一緒に育てる」と言う意識が、多分自然発生しているのだと思う。


キューバは社会主義国だから教育、医療そして住宅費は要らない。
しかし、一般的な市民の平均月収は日本円で約2,800円。
ハバナにあるホテルやレストランに彼らは生涯行くことはないかもしれない。
(庶民向けのお店はあるけれど、滅多に座って食べるというのはない、と思う。一度家族と一緒に、安さと美味しさで有名なピザ屋に行った。確かに安い、でも食べる場所がない。持って帰る人もいるけれど、ほとんどが道端で立ったまま食べていた。私もそのスタイルで^^)
現在の国の経済状態を嘆き批判する人は多い(って、全員がそうだった)
でも、不思議なことに今の生活スタイルに不平不満を言う人には出会わなかった。
むしろ、ここの暮らしが好き!!と言う。


で、超長い前置きになったけれど
この数日、報道されている千葉の心愛さんの父親による虐待死。
酷い父親に屈した周りの大人たち。

何が悔しいって、この女の子は自ら助けを求めていたのに、結果として誰も彼女を助けようとはしなかった。


「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」







*写真
上の二枚は部屋の窓から。
向こうに見える海岸は、ハバナのソファと呼ばれるMalecón。カリブ海です。
もう一枚は朝の風景。中学生でしょうか?

三枚目は,ヘミングウェイが定宿としていたHotel Ambos Mundosのラウンジで。
エスプレッソが2.5クック(約250円)でした。







此の度の訪問の目的は私にとって3番目の孫となるSとの対面だったし、ここに来ると車に乗れないと身動きがとれないので、何を観たいとか何をやりたいとか、更に言えば何を食べたいとか、そういった欲求はどこからも湧いてこないww

そういうことなので無計画だけれど、前回とは違い息子のクリスマス休暇合わせて(来い!、と言うから ) やって来た。
そうしたら、どういう風の吹き回しなのか?
思いがけなく息子が3泊4日の旅行を計画してくれていた。
とは言っても、コブ付きだし一個は出来立て(笑)

ラスベガス二日目、実質一日目ですが、昼間は子ども向けのショーを観たり、とにかくここって全てがホテル内で済ませらるのが楽っちゃ楽だけれど、ホテルが巨大過ぎて移動に時間がかかり、私としてはなかなかいい運動になる。

この日の夜は、何と!
あの息子が、Eちゃんと私に少し早めのクリスマスプレゼントをしてくれた。
自分はホテルで二人の子どもとお留守番ですって!
( すっごく心配なんですけど... ... )

ホテルBellagioのシアターで公演中の『シルク・ド・ソレイユ「O (オー)』を観てきました。
ラスベガスでは常に沢山の色んなショーをやっていて、シルク・ド・ソレイユも五つの異なるホテルで公演中。その中でも評判の良いらしい『O オー』のチケットを取ってくれていました。
約1時間半、それは素晴らしいの一言につきます。
Eちゃんもすごく感動してました、 座席に携帯を置き忘れてきてしまうくらいに ww (奇跡的にもどってきました)
出演者の多くは世界的なシンクロナイズドの元選手、日本人もいました。
これは装置が壮大なのでここでしか公演出来ないようです。
命綱無し、と言っても落ちても水中だから問題無し⁇ (笑)

シアターを出て余韻に浸る間も無く息子から電話。
電話口からは泣き声が。
大急ぎでタクシーを拾ってホテルに戻りました。

これくらいがちょうどいいのよね‼︎
心の均衡が、私には保てていいのです^^






https://m.youtube.com/watch?v=QPw4gC-Mvsk





Las Vegas

2018年12月26日 非日常
到着した2日後、金曜日の夜8時半過ぎに車で出発。
目指すはラスベガス。深夜の車の少ない時間を狙ってだったけれど、はぁ〜... ...フリーウェイの車はとぎれることなく、4時間半の予定がホテルに着いたら午前3時をとっくに過ぎてました。
4歳半と未だ生後2ヶ月半の子ども連れ、って日本ならこんなことやる?
もちろん2度のトイレ休憩と授乳休憩もあり。
交代しながら二人が運転、バアさんは後部座席でキッズシートとベビーシートに挟まれ約5時間半の車の旅を楽しませて頂きました。
あのね、到着してまだ二晩しか寝てないの → あなたに言っております^^

そんな時間に着いたにもかかわらず、ホテルのロビーでは子ども連れがウヨウヨうろついているし( 我々もだけれど ) その奥にあるカジノは大盛況の様相、
確かにここは普通じゃないわ ( 我々もだけれど )。


早くも罪の意識にかられる... ...。





ハバナの夜

2018年10月30日 非日常
ハバナの夜
ハバナの夜
夕刻に日本を発って、トロント経由でハバナのホセ・マルティ空港に着いたのは同日の夜12時前。
トロントからのVirginAirはほぼ満席で、観光客と、キューバ人が半々くらい。なのに、アナウンスは仏語と英語のみだなんて… …、AirCanadaってホントに大雑把なんだから。
トロントでの通関に比べてハバナでは拍子抜けするほどあっさり。
とにかく、西語が通じるのがうれしい! それだけで不安半減です。

真夜中の到着ということで空港からのタクシーは予約済み、運転手はすぐに見つかった。まずはATMで両替。
空港から市街地への真っ暗な道を約半時間ほど行き、旧市街地にあるCASA PARTILURAR(家族経営の民宿のような宿泊施設で、一泊朝食付きで¥2,500.−くらい)に着いたのは午前1時前だった。ご主人と奥さんそして小学生の息子さんが、こんな時間にもかかわらずにこやかに出迎えてくれました。一安心!
何部屋もあるのかと思っていたら、空いている一部屋を貸しているだけで客は私ひとり。スペイン時代のコロニアル風の天井の高い8畳くらいの部屋にはシャワー・トイレ付き。冷蔵庫もエアコンも備え付けられていて、ベッドはダブルだしバルコニーもついている。大きな扇風機もあったけれど、これもエアコンも滞在中に一度も使うことはなかった。

バルコニーに出てみると、家々の窓は開け放たれていて明かりが見える。街路灯は少ない。

やっと来ることができた!!
40年来の夢だった、キューバ♪




人生最後の
USJの『ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド』に乗ってきました。

前回は何とかインフルエンザが流行中で園内は閑散としていて、どのアトラクションも並ぶことなく乗ることができた。(そう言えば,2回連続で乗った記憶が... ...)
しかし、この日はどれも長蛇の列。
でも、お一人さまはシングルライダーの列に。

あの落差、浮遊感が半端なくて
「ギャーッ!!!」を途中で息継ぎして、もう一度「ギャーッ!!!」
もうサイコー♫
笑が止まらず♬

ジェットコースターが大好き!
しかし、そろそろ何があってもおかしくない年齢だし、
とすごく迷ったけれど
だからこそ次はないと思って、乗ることに。

乗っている間は良かったけれど
降りた途端に脚がぐらぐらするし、若干の吐き気。
そのことを口にはしなかったけれど、
ああ、もうこんな事すると迷惑かけちゃうな、
と素直に認める。
だから、もう一生これに乗ることはない。

ジュラシック・パーク・ザ・ライドにもシングルライドで乗ったけれど、全然物足りないし、ああいうのは作り物の恐竜に触りたくなるのでストレス溜まる(笑)


それにしても、
平日で雨が降ったり止んだり
そんな日に
どうして若者がいっぱいなんだ??

こういう場所は好きじゃないので行く前は全然気が乗らなくて、孫の子守覚悟だったけれど
結局、一番楽しんでしまったようです^^




* 画像はお借りしました。




幸いなことにこの辺りを台風は大した被害を出すことなく通り過ぎた。
当初の予報では、月曜日の午前中も運休が続いているかと(秘かに?)期待していたけれど、時間割通りに授業はあった。

仕事帰りに抱えきれないほどの買い物をして、今日は朝から洗濯(掃除はパス)と留守中の食事の算段で日が暮れた。
ま、これは毎度のこと。

そして、これも毎度のことだけれど、旅支度は出発前日の深夜に及ぶ。
これで、機中はぐっすり^^

トイレットロールは必携。
wifiには不自由しそうなのが困りもの。高齢者を抱えているもので... ...。何とかなるかは現地に行ってから。


行くんです!と言うと
踊るのとお酒の好きな人は、私も行きたい〜‼︎♬
私はそれにはほぼ無縁なので残念だけれど。


すごく楽しみ。






北海道 2
北海道 2
北海道 2
2時間弱の空の旅。

空港の外に出て
娘と私が同時に発した言葉は
「空気が違うね〜〜」
「はぁ〜、気持ちいい! 最高 ♫」

Kと草原を走り回ったり、転げ回ったり
とにかく気持ちいい。
「お母さんはどこでも楽しめる人やね〜」
とMに言われましたが、
確かに^^

「長男家族とも一緒に来たいね!」
「Iちゃんきっと喜ぶよね」と話していたら
何というタイミング!!♫
長男から着信があり、ライブで景色やお昼ご飯を紹介。

どういう風の吹き回しか、次男からも電話が。
ついでだからこちらに来る?のお誘いは無かったけれど。



4時起きで見に行った雲海は
10年以上前に見た西穂高に次ぐ迫力だった。

お天気にも恵まれ
本当に素晴らしい4泊5日を過ごしました。

帰阪した途端に
また行きたい (笑)


5回に1度くらいは
こうして誰かと一緒に行くのもいいかと (笑)




幸せな時ほど調子に乗らず
足元を見つめて!
と自戒しつつ
また仕事します^^











北海道

2017年9月10日 非日常
北海道
今回の北海道のことを書こうとしていたのに……^^
昔のことばかり昨日のことのように思い出す。


一緒に行った友だちに、時々思い出話であの時の北海道の出来事を話すことがあるけれど、お互いに覚えていることが全然違ったりするのが面白くて^^

でも、一つ確かなことは
彼女と一緒だったからそんな旅が出来た、ということ。
お金も無くて、時々大げんかしながら^^






ノスタルジア
二年ぶりにやって来ました。

どれもこれもがまだ記憶に残っていて懐かしいです。



https://m.youtube.com/watch?v=ml5Y7BdTXEo

ティファナ

2017年3月26日 非日常
ティファナ
ティファナ
週末に車でSan Diegoまで行きホテルに一泊。
翌日、そこから15分くらい走ってパーキングに車を置いてから歩いて国境まで。
今話題の国境なので興味津々だったけれど予想外にすんなり、
って当たり前ですね。

問題となってるのは不法入国や不法滞在なのだから。
ホテルの従業員のおじさんは「週に2回は向こう側に帰ってる」と言い、「もうそんな生活を30年程続けてる」そうだ。
「そりゃあ稼いだでしょうね?」と言うと「そうだよ〜〜」と笑顔で応えた。
実際、こういう人達がここの仕事を支えているのは私のような旅行者の目にも明らか。

徒歩で国境を越える。
メキシコ側に入りタクシーでTijuanaの街の中心まで行く。
土産物屋やレストランが並ぶ中心地だけれど一歩そこを離れると閑散とした街並み。

通りを渡ろうとしていたらおじさんが「向こう側は危険だよ。悪い人がいる」と声をかけて来たけれど、目の前はPOLI CÍA。

お昼ごはんを食べにレストランに入ると其処彼処のテーブルで生演奏。
みんなすっごく上手くて聴き惚れる。
初めての本場のメキシコ料理を頂きました。
タコスもトルティーヤもたっぷり添えられていて
美味しい‼︎
ただ土産物をと物色するも、どうも買う気になれないクオリティ。

入国する時は
先ず米国を出国して
メキシコに入国という普通の手順だったのに、
出国する時は
メキシコ出国審査がなくて(⁇⁇)
旅行者はそのまま米国入国審査で
拍子抜けするほど簡単だったけれど、メキシコ人は別の審査を受けていました。
家族かな?男性だけがメキシコ側に残って泣きながら別れを惜しんでいる姿もあったし、
アメリカ側に入国した途端に万歳している人達を見ると
色々思ってしまう。


想い出がまたひとつ。









ラオス(備忘録 3)
ラオス(備忘録 3)
朝市やナイトマーケットで働いているのはおばさんばっかり。
男性といえば寄り集まってコーヒーを飲みながらお喋り中。
東南アジアの国々ではよくある光景ですが、どうしてでしょうか?

ただ、ラオスではそのおばちゃん達も全然商売気がなくてただ品物を並べて座っていたり寝そべっていたりだし、子どもがお土産を売る姿を街中では見かけることはありませんでした。これラオスの特徴らしいです。

嘗てはフランスに統治されたこの国もその傀儡である王政から社会主義国になったのが、タイミング悪くソビエト連邦が崩壊の危機にある頃で、時の政府が目指した社会主義国建設は中途半端な状態のまま現在に至っているように見受けられました。(と言ってもガイドのSさんの話を聞いて感じたのですが)。国民所得は、サラリーマン(というのは殆どが公務員のことを差すようですが)一ヶ月日本円にして2万円弱。農業とチーク材の産業しか国内にはないので、殆どが隣国タイを主とした輸入に頼っています。だから、タイやカンボジア等の近隣諸国に比べて物価は高いです。
教育制度はある程度整っているようですが、結構お金もかかるらしい(社会主義なのに?!)病院なんてお金がかかるのでなかなか行けない(社会主義国なのに?!)
それでも、穏やかでこんなにのんびりした暮らしぶりなのは国民性なのでしょうかね?
幸福度指数なんて、ホント当てにならないよ!!

しかし、社会主義は何処に?
そもそもラオスに社会主義は存在せず、という説もある(納得!)


ラオスは男性の90%が12歳から何歳までだったかな?笑 その間に仏門に入り修行します。街を歩くとオレンジ色の法衣を着たまだ幼い男の子を見かけます。ホテルの傍にそんな男の子がいる寺院がありました。夕方、そこで10人くらいの若い修行僧がお喋りしていたので、おばちゃんが拙い英語で話しかけたら快く写真を撮らせてくれました。一番小さい子は12歳、最年長の子は18歳と言ってました。撮らせてもらったので何かお礼をしたいと思い、ラオスのお寺ではお札が綺麗に丸めて積み上げてお供えされているのを見たのでお金がいいかとも考えたのですが、ちょうど持参していたはちみつキャンディーが一袋あったのでそれを持って彼らのところに戻りました。「これを差し上げてもいいかな? ダメかな? 失礼かな?」と尋ねたら「貰えない」と言います(それもすごく残念そうに)
「じゃあ、提案! 仏さまにお供えするのはどうかな?」と言うと、「Yes!」
閉まっていた御堂をわざわざ開けてくれました。大きな仏壇にお供えさせてもらいました。 仏壇に向かって手を合わせる遣り方も教えてもらいました^^
もう親切で可愛くて♫

彼らが着ている法衣は一枚の長い長い布で、あのオレンジ色は仏教の花マリーゴールドの色だそうです。(多分です^^お互いに拙い英語での会話なので)



*仏壇の写真:両側にお札がタワーのように飾られています。


ラオスの通貨は紙幣しかありません。硬貨はないのです。その紙幣もラオス語の数字が書いてあって、アラビア数字も確かに書いてあるのですが、見にくいったら。
こういう国特有の0(ゼロ)の多さ。10,000 キープ=約151円です。
500キープから100,000キープ札まであります。街で買い物する時はUS$も普通に使えるのですが、おつりはキープ。電卓を見せておつりをくれますが、もうおばちゃんのこの頭は大混乱。ゼロがいくつもあるだけで大変なのに(笑)お金の勘定は途中で潔く放棄(笑)
ただ、ラオスでは値段をふっかけてくることがまずないようですが、ディスカウントしてもらったのかもらってないのか?途中でチンプンカンプン、意味不明……。

は〜、歳はとりたくないわ。






ເມືອງຫຼວງພະບາງ(備忘録 2)
ເມືອງຫຼວງພະບາງ(備忘録 2)
ເມືອງຫຼວງພະບາງ:ラオ語でルアンパバーンを書くとこうなりますが^^
読み方はLuang Phabang(ルアン パバーン)またはLuang Prabang(ルアン プラバーン)となるようです。
龍帕帮、琅勃拉邦は中国語でしょうかね?

プロペラ機のタラップを降りた途端に携帯がブルブル
開いて見ると携帯会社からと日本外務省からのメッセージでした。
ええっ!? ここまで来て見張られてる?

街の中心地王宮エリアにあるホテルに荷物を置いて、先ずはホテルの先にあるナイトマーケットを見て歩きました。たくさんの人で賑わう横道に入るとそこには食べ物を売る露店が並んでいて、数々のお惣菜を売る店や串に刺した肉や魚を焼いているお店があって、何と香しい匂い!!
お店の前にはテーブルと椅子があります。大きなお皿に山盛り食べたい物をとってその場で頂くブッフェ式。一皿¥200余で食べられるようです。
でも、お腹の事が気になる私はぐっと堪えてホテル近くのラオス料理のお店で夕食タイムでした。水と生野菜に気をつければ大丈夫だと思うのだけれど、何しろこの年齢と独り旅がネック(リスクです)で冒険は慎むことに、残念!!
主食は蒸した餅米、ココナッツミルク風味でまろやかなお味のカレーには鶏肉・人参・じゃがいも・タマネギと、中身は日本のとほとんど変わりません。メコン川の支流で採れた川海苔の揚げ物もワカメに似た海藻入りのスープには豆腐も入っているし、豚肉を魚にした酢豚みたいなのや、豚肉とチンゲンサイに似た青菜の炒め物、どれも美味しいでした。ただ、どれも量が多くて、お独りさまにとっては辛いところ^^


水に関しては現地の人々も飲料水と料理用にはペットボトルの水を買うようで、ホテルの洗面台の傍にも歯磨き用のペットボトルが置かれているくらいですから油断大敵です。

初日は興奮気味でなかなか眠れず……いつの間にか眠ってしまったけれど(笑)遠くから音が近づいてきて遠ざかって行くドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン……と夢の中で太鼓を打つような音が聞こえてる、何の音?!と目を覚ましたら、また同じような音が聞こえて遠ざかっていく……。時計を見ると午前3時半過ぎ、これがあの托鉢開始の音?だったみたいです。

 一日目が終了。





ルアン・パバーン (備忘録 1)
ハノイって中国語で「河内」って書くんですね!
空港のゲートで表示されているのを見て、何だか親近感^^
へぇ〜、河内でハノイ?!

河内のNoiBai空港で乗り継いで、ラオスの古都ルアン・パバーンに行ってきました。
以前からいつか行ってみたい、と思っていた憧れの地でしたが
アジアは近い! いつでも行ける!という思いがあって後回しにしてきました。
でも、残り少なくなった夏休みに時間的にも行けそうだったので、
行くなら今!と突然の決行でした。

4泊5日、それも一箇所に限った今回の旅でしたが
本当に訪れて良かったです。

1995年に世界遺産に登録されたルアン・パバーンは
信号機がなくて、2階以上の建物もないメコン川沿いに位置する静かな街でした。
ちょうど雨季でシーズンオフということも幸いして観光客も少なかったです。

目いっぱい楽しんできました。
初めての場所で独りだったし、短い時間を効率的に使いたかったので
ガイドさんを頼みました。
ガイドさんというのも初めてでしたが、これが大正解!
若いお兄さんに色々案内してもらって、観光以外にプライベートな話もたくさん出来て、なかなか充実した期待以上の旅になりました。
ラオスの家庭事情や政治への関心やら、話題が尽きませんでした。



やっと疲れもとれてきました。
それにしても歳には勝てません、帰国した途端にどっと疲れが出て
我が身の衰え方にショック!!
この一週間、睡魔との闘いでした(笑)
とにかく眠くて眠くて……。


今回の旅の事を忘れないために
少しずつ書き留めていけたらと思います。

いっぱい書きたい事があるのですが、
何しろ耳に馴染みのない名前や地名ばかりで
思い出すのが大変なんです。
これも歳のせいですね?ww







の思いつきではないのです。
何でそんな急に? とMには言われましたが^^
今、行かないともう行けないような気がするのよ!
(と、言うのは嘘ですがww)


旅行会社のお兄さんからは
「ホントに? お独りでですか?」と言われて
「ホントに?っておたくのパンフレットにあるのに?どうして?(お独りで?って……」思わず聞き返しましたよ。

「急なのでチケットもホテルも取るのが難しいですよ、今頃急に……。僕は独りで行く女性を担当するのは初めてです……ホントですか?」と言うので
「今行きたいから来たのです。(さっさと手配しろ!)
多少高くなってもいいから(さっさと手配しろ!)」
「いくら頑張っても○日出発しか取れません。今すぐに払い込んでもらって、もうキャンセルできませんよ」
「じゃあ、それで!」

決まりました〜♫

こんな夜中にパッキングしています。
私としては予定より一週間遅れになってしまったのが少々不満ではありますが、
やっと行ける〜。

たった5日間だけれど
夏休み2016♪

幾つになっても、
初めてはワクワクします^^

そして、
感謝!!!





ひとりで温泉です。

せっかく早めにやって来たのに
なんせ雨は止まないし、出歩く気にはならないしで
温泉に入り浸っていました。

三つある貸し切り露天風呂も予約して全部に入ったし、
大浴場も部屋風呂も。
ひとりなので話し相手は早々いませんしね。

「うぃ〜、気持っちいい〜〜〜」
「堪らんね〜〜露天風呂〜♫」
「はぁ〜、ふぅ〜……」
「来てよかった〜〜、きゃっきゃっ♫♫」


湯船の中で(いろいろと)独り言 ww











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