ただ一つの絵を観に。
2022年3月28日 鑑賞 コメント (2)
前売り予約で取れたのは最終日の16時。
初めて目にした建物は黒い箱。
予約したのにその時刻の20分前には既に長蛇の列!
でも、入場した途端に私は列から離れてどんどん奥へと進んだ。
観たかったのはだた一つ。
いつどこでその絵を知ったのか憶えていないけれど、先頃オープンした大阪中之島美術館の開館記念展覧会の展示案内で作品を見つけた。
思ったより小さかったけれど細部まで目を凝らした。
定かでない記憶では大阪心斎橋の大丸百貨店だったけれど、実際には松坂屋だということが判明(笑)
ま、それはどうでもいい(笑笑)
1930年代に前田藤四郎による版画 『デパート装飾』には当時の百貨店内の様子が仔細に描かれていて、女の子好みだわ^^
入館後30分ほどしてから最初の展示に戻って鑑賞する頃にはその辺りの人出はすっかり引いていた。
ゆっくり観て回りたかったけれど、何しろ気が急く(涙)
文字通り、ただ一つの絵を観に。
**************************************
2022/3/21 大阪中之島美術館『超コレクション展 99のものがたり』
99名の作家の作品を一挙に見ることなんてできるはずもなく、まさにオープニング記念的なものでした。
* 画像はネットより借用しました。
初めて目にした建物は黒い箱。
予約したのにその時刻の20分前には既に長蛇の列!
でも、入場した途端に私は列から離れてどんどん奥へと進んだ。
観たかったのはだた一つ。
いつどこでその絵を知ったのか憶えていないけれど、先頃オープンした大阪中之島美術館の開館記念展覧会の展示案内で作品を見つけた。
思ったより小さかったけれど細部まで目を凝らした。
定かでない記憶では大阪心斎橋の大丸百貨店だったけれど、実際には松坂屋だということが判明(笑)
ま、それはどうでもいい(笑笑)
1930年代に前田藤四郎による版画 『デパート装飾』には当時の百貨店内の様子が仔細に描かれていて、女の子好みだわ^^
入館後30分ほどしてから最初の展示に戻って鑑賞する頃にはその辺りの人出はすっかり引いていた。
ゆっくり観て回りたかったけれど、何しろ気が急く(涙)
文字通り、ただ一つの絵を観に。
**************************************
2022/3/21 大阪中之島美術館『超コレクション展 99のものがたり』
99名の作家の作品を一挙に見ることなんてできるはずもなく、まさにオープニング記念的なものでした。
* 画像はネットより借用しました。
1200年前のセンス♫
2019年11月7日 鑑賞 コメント (2)
第71回正倉院展に行ってきた。
毎年、この時期が待ち遠しいのはこれがあるから。
いつもなら、お天気の悪い平日に行くべし、と決めているのだけれど
今年は今日くらいしか行けそうな日がなかった。
案の定、奈良公園は大勢の観光客で賑わっていた。
奈良駅から興福寺を通り抜けて国立博物館へ行く。
約9000点あるという正倉院の宝物、到底生きている間に全てを目にすることはできないだろう。
それでも会場の入り口に立つと、今年はどんな物に出会えるかと、もう気持ちが逸ってわくわくしてくる。
私はゆっくり一つずつ時間をかけて観るし、戻って観たり、途中で休憩もする^^ 優に2時間はかけるので、多分一人でないとこういう鑑賞の仕方はできないだろう。しっかり元取ります(笑)
最初の部屋に展示されていた『七條刺納樹皮色袈裟(しちじょうしのうじゅひしょくのけさ)』は何て素敵なのだろう!?
僧侶が身に纏う袈裟とは、衣服に執着が無くなったら着るもので、それゆえ古着の端切れなどを縫い合わせたものだった、別名「糞掃衣(ふんぞうえ)」と呼ばれていたと解説されていた。
間近で見ると、茶色、緑色、黄色、赤色、青色の平絹の裂が細かく細かく刺し合わせてあって樹木の皮のように見えるのだけれど、これほどの技術の高さに感動。
この色柄は現代でも違和感なく使えそうくらいにモダンだった。
もう一つは最後の部屋で見た『子日目利箒(ねのひのめとぎのほうき)』。
コウヤボウキの茎を束ねて、持ち手には紫色に染めた鹿皮を金糸で括ってある、寸法にして数十センチの手箒だ。
758年の正月の儀式で用いられたそうだからほぼ1260年前!!
いったい、どうやって保管しているのだろうか?
その茎先にガラス玉が付いていて(今でも数個は残っていた?)、実用的でオシャレという代物である。
1260年前のセンスは今でも光っていた^^
初春の 初子(はつね)の今日の 玉箒(たまばはき)
手に取るからに 揺らく玉の緒
大伴家持 (万葉集 卷20)
* 写真はネットよりお借りしています。
毎年、この時期が待ち遠しいのはこれがあるから。
いつもなら、お天気の悪い平日に行くべし、と決めているのだけれど
今年は今日くらいしか行けそうな日がなかった。
案の定、奈良公園は大勢の観光客で賑わっていた。
奈良駅から興福寺を通り抜けて国立博物館へ行く。
約9000点あるという正倉院の宝物、到底生きている間に全てを目にすることはできないだろう。
それでも会場の入り口に立つと、今年はどんな物に出会えるかと、もう気持ちが逸ってわくわくしてくる。
私はゆっくり一つずつ時間をかけて観るし、戻って観たり、途中で休憩もする^^ 優に2時間はかけるので、多分一人でないとこういう鑑賞の仕方はできないだろう。しっかり元取ります(笑)
最初の部屋に展示されていた『七條刺納樹皮色袈裟(しちじょうしのうじゅひしょくのけさ)』は何て素敵なのだろう!?
僧侶が身に纏う袈裟とは、衣服に執着が無くなったら着るもので、それゆえ古着の端切れなどを縫い合わせたものだった、別名「糞掃衣(ふんぞうえ)」と呼ばれていたと解説されていた。
間近で見ると、茶色、緑色、黄色、赤色、青色の平絹の裂が細かく細かく刺し合わせてあって樹木の皮のように見えるのだけれど、これほどの技術の高さに感動。
この色柄は現代でも違和感なく使えそうくらいにモダンだった。
もう一つは最後の部屋で見た『子日目利箒(ねのひのめとぎのほうき)』。
コウヤボウキの茎を束ねて、持ち手には紫色に染めた鹿皮を金糸で括ってある、寸法にして数十センチの手箒だ。
758年の正月の儀式で用いられたそうだからほぼ1260年前!!
いったい、どうやって保管しているのだろうか?
その茎先にガラス玉が付いていて(今でも数個は残っていた?)、実用的でオシャレという代物である。
1260年前のセンスは今でも光っていた^^
初春の 初子(はつね)の今日の 玉箒(たまばはき)
手に取るからに 揺らく玉の緒
大伴家持 (万葉集 卷20)
* 写真はネットよりお借りしています。
発端は、「私がMをみてるから観てくれば?」でした。
中学生の時に同じ美術館で『真珠の耳飾りの少女(または『青いターバンの少女』とも)を鑑賞してから大ファンになって、十数年前にオランダのマウリッツハイス美術館でも彼の作品を観ていた娘。でも、今回はもうすぐ生後2ヶ月になるMもいるし、時間的にも無理だから、と言ってました。
「いやぁ、やっぱり無理無理」と言いながらも名残惜しいようで^^
こういう展覧会の素晴らしいところは、世界中の美術館に散らばっている作品を一挙に観ることができること。
「アイルランドの美術館には行ける気がしないわ!、せめてフェルメールだけでも観たい!」と言い出した。
「だから、お母さんも一緒に!」とほぼ強制的に付き合わされました。
私はひとりで観たい派だけれど、どのみち今回は時間がないので既に行くのは無理と決め込んでた。こういうのは半日なければ無理。
でも、大急ぎで支度して出かけました。
金曜日の美術館は予想したほどの混雑もなく、しっかり鑑賞することができました(6作品だけですが 笑)
ちょっと大変だったのは、館内はベビーカーを持ち込めないので、抱っこで^^
生後約2ヶ月になる孫娘の美術館デビュー(?)となりました。
本当に最後の3部屋にあるフェルメールの6作品のみを観て(考えてみれば失礼なことだけれどね^^)滞在時間は約30分。
家を出て帰宅するまで1時間半もかからずでした。
Kの幼稚園のお迎えにも間に合ったし、彼女はとても満足しておりました。
https://vermeer.osaka.jp/pictures.html
中学生の時に同じ美術館で『真珠の耳飾りの少女(または『青いターバンの少女』とも)を鑑賞してから大ファンになって、十数年前にオランダのマウリッツハイス美術館でも彼の作品を観ていた娘。でも、今回はもうすぐ生後2ヶ月になるMもいるし、時間的にも無理だから、と言ってました。
「いやぁ、やっぱり無理無理」と言いながらも名残惜しいようで^^
こういう展覧会の素晴らしいところは、世界中の美術館に散らばっている作品を一挙に観ることができること。
「アイルランドの美術館には行ける気がしないわ!、せめてフェルメールだけでも観たい!」と言い出した。
「だから、お母さんも一緒に!」とほぼ強制的に付き合わされました。
私はひとりで観たい派だけれど、どのみち今回は時間がないので既に行くのは無理と決め込んでた。こういうのは半日なければ無理。
でも、大急ぎで支度して出かけました。
金曜日の美術館は予想したほどの混雑もなく、しっかり鑑賞することができました(6作品だけですが 笑)
ちょっと大変だったのは、館内はベビーカーを持ち込めないので、抱っこで^^
生後約2ヶ月になる孫娘の美術館デビュー(?)となりました。
本当に最後の3部屋にあるフェルメールの6作品のみを観て(考えてみれば失礼なことだけれどね^^)滞在時間は約30分。
家を出て帰宅するまで1時間半もかからずでした。
Kの幼稚園のお迎えにも間に合ったし、彼女はとても満足しておりました。
https://vermeer.osaka.jp/pictures.html
『第70回正倉院展』
2018年11月25日 鑑賞 コメント (2)平日でお天気の良くない日に行くことに決めている正倉院展。
夜半から雨が降り出したのでチャンスと思っていたのに、翌日のお昼前には晴れて来た。
でも、会期も3日を残すばかりとなっては行くしかない。
お昼を済ませて大急ぎで支度して電車に乗った。
やはり混雑していたが、それは仕方ない、会期が短い。
観るのに順番良く並んで待っているのに、気づいているのかいないのか、多分気づいてないのだろう、リュックやバッグでグイグイ押してくる人、痛いって(怒)押さなくても順次進みますので。
感想を言うなら同行者に聞こえる程度に言えばいいのに、「お〜、すごいな!! こんな色よう出せるな〜」と大声を出すおじさん、うるさいってば(怒)
それもいい年齢の男性や女性だった。
とっても残念、楽しさ半減。
自身の体力低下もあると思うけれど、
何だか大きな楽しみを奪われたような気落ちになってショックだわ。
夜半から雨が降り出したのでチャンスと思っていたのに、翌日のお昼前には晴れて来た。
でも、会期も3日を残すばかりとなっては行くしかない。
お昼を済ませて大急ぎで支度して電車に乗った。
やはり混雑していたが、それは仕方ない、会期が短い。
観るのに順番良く並んで待っているのに、気づいているのかいないのか、多分気づいてないのだろう、リュックやバッグでグイグイ押してくる人、痛いって(怒)押さなくても順次進みますので。
感想を言うなら同行者に聞こえる程度に言えばいいのに、「お〜、すごいな!! こんな色よう出せるな〜」と大声を出すおじさん、うるさいってば(怒)
それもいい年齢の男性や女性だった。
とっても残念、楽しさ半減。
自身の体力低下もあると思うけれど、
何だか大きな楽しみを奪われたような気落ちになってショックだわ。
『東郷青児 生誕120年 夢と現と女たち』
2018年3月15日 鑑賞 コメント (2)
割引券があったので行ってみた。
彼のあの独特な画法の成り立ちを知ることができて、これがなかなか興味深くて一つずつ丁寧に観ることに。
二科展の重鎮であり、一方ではデパートの大食堂の壁画や雑誌の表紙、本の装丁などを手がけるという、なかなかのやり手(?)
女性関係は、芸術家としては常套。
それ以前に、お洒落でハンサムだし当時の人々を惹きつけ大衆芸術に貢献したのが理解できる。
出品されていた作品のほとんどは外国の女性のようだった。
とても気に入った作品があった。
『手袋の女』はちょっと不思議な絵で、手に着けているのは黒い長手袋なのに、もう一方の手に持つのは短い。面白い頭の形だな、と思ってよく観ると帽子の上半分が背景の色と同化している。
ほとんどの作品に感じられるものだったけれど、彼の遠近法には違和感。この作品にも何かを意味するのか?、古代ギリシャ風の建造物が、遠いのか近いのかよく分からないけれど、見えている。
特に見入ったのが、その女性が着けていた白黒のギンガムチェックのスカート。色も陰影も質感も、とにかくすごく素敵だった。本物みたいに。
あとで知ったけれど、当時付き合っていた宇野千代がモデルと言われている。
彼のあの独特な画法の成り立ちを知ることができて、これがなかなか興味深くて一つずつ丁寧に観ることに。
二科展の重鎮であり、一方ではデパートの大食堂の壁画や雑誌の表紙、本の装丁などを手がけるという、なかなかのやり手(?)
女性関係は、芸術家としては常套。
それ以前に、お洒落でハンサムだし当時の人々を惹きつけ大衆芸術に貢献したのが理解できる。
出品されていた作品のほとんどは外国の女性のようだった。
とても気に入った作品があった。
『手袋の女』はちょっと不思議な絵で、手に着けているのは黒い長手袋なのに、もう一方の手に持つのは短い。面白い頭の形だな、と思ってよく観ると帽子の上半分が背景の色と同化している。
ほとんどの作品に感じられるものだったけれど、彼の遠近法には違和感。この作品にも何かを意味するのか?、古代ギリシャ風の建造物が、遠いのか近いのかよく分からないけれど、見えている。
特に見入ったのが、その女性が着けていた白黒のギンガムチェックのスカート。色も陰影も質感も、とにかくすごく素敵だった。本物みたいに。
あとで知ったけれど、当時付き合っていた宇野千代がモデルと言われている。
この時期を待ちこがれている。
電車を乗り継いでも1時間もかからない、
ここに住んでいて良かったと思う^^
毎年書いていると思う、
電車が山の間にある川沿いを走る、
そしてそこを抜けると
なだらかで長閑な大和の山を遠くに見る盆地があらわれる。
車窓から見える夕暮れの風景は本当に美しい。
悠久の歴史の中にいるような錯覚に陥る。
第69回正倉院展に行って来た。
ゆっくり観たいので必ず平日(それも天気が悪ければなお良い)を選んで行く。
降車駅は絶対にJR奈良駅(奈良に行くのにK線奈良駅は邪道 笑)
国立博物館までは少し上り道なので、今日のお天気では汗ばむくらいだったけれど、
気持ちが逸るばかりで黙々と歩く(独りなので黙々は当然だけれど、普段はきょろきょろしてるので 笑)
チケットを買う時に「30分ほど待ちますが、4時半からのオータムレイトチケットもあります」と言われたけれど、時間を気にせずゆっくり観たいので一般入場券を。
正倉院には九千件ほどの宝物がある。
そのうち、今回出品されたのは58件。
同じ宝物をもう一度観るのに最低でも10年は待たなくてはならないと言われている。
玳瑁杖の美しさにはため息が出た。何と高度な細工!
携帯された道具の刀子は、長さ20センチ余の細い細い小刀、決してきらびやかではないシンプルな装飾がなされている。 何と繊細な!
驚いたのは、717〜724年の養老時代にあったという下総国葛飾軍大島郷の戸籍。今の東京都葛飾区柴又付近に比定されているとある。てっきり戸籍制度は明治につくられたと信じていたので個人的には驚愕! ww
螺鈿を施した宝物が大好きなのだけれど、今回は一件だけの出陳だった。
今回の出陳は少し地味な感じがするが、
デザインや色彩センス、古文書に書かれた文字にいつの間にか見とれていた。
古代日本の手工芸の高度な技術と、この奈良という場所だからこそ保存可能であったのだろう(何といっても自然災害が少ない)、こうして出会えることが何よりうれしい。
また、来年!
閉館まで堪能。
http://jarsa.jp/wp/wp-content/uploads/2017/10/e7733-list.pdf
電車を乗り継いでも1時間もかからない、
ここに住んでいて良かったと思う^^
毎年書いていると思う、
電車が山の間にある川沿いを走る、
そしてそこを抜けると
なだらかで長閑な大和の山を遠くに見る盆地があらわれる。
車窓から見える夕暮れの風景は本当に美しい。
悠久の歴史の中にいるような錯覚に陥る。
第69回正倉院展に行って来た。
ゆっくり観たいので必ず平日(それも天気が悪ければなお良い)を選んで行く。
降車駅は絶対にJR奈良駅(奈良に行くのにK線奈良駅は邪道 笑)
国立博物館までは少し上り道なので、今日のお天気では汗ばむくらいだったけれど、
気持ちが逸るばかりで黙々と歩く(独りなので黙々は当然だけれど、普段はきょろきょろしてるので 笑)
チケットを買う時に「30分ほど待ちますが、4時半からのオータムレイトチケットもあります」と言われたけれど、時間を気にせずゆっくり観たいので一般入場券を。
正倉院には九千件ほどの宝物がある。
そのうち、今回出品されたのは58件。
同じ宝物をもう一度観るのに最低でも10年は待たなくてはならないと言われている。
玳瑁杖の美しさにはため息が出た。何と高度な細工!
携帯された道具の刀子は、長さ20センチ余の細い細い小刀、決してきらびやかではないシンプルな装飾がなされている。 何と繊細な!
驚いたのは、717〜724年の養老時代にあったという下総国葛飾軍大島郷の戸籍。今の東京都葛飾区柴又付近に比定されているとある。てっきり戸籍制度は明治につくられたと信じていたので個人的には驚愕! ww
螺鈿を施した宝物が大好きなのだけれど、今回は一件だけの出陳だった。
今回の出陳は少し地味な感じがするが、
デザインや色彩センス、古文書に書かれた文字にいつの間にか見とれていた。
古代日本の手工芸の高度な技術と、この奈良という場所だからこそ保存可能であったのだろう(何といっても自然災害が少ない)、こうして出会えることが何よりうれしい。
また、来年!
閉館まで堪能。
http://jarsa.jp/wp/wp-content/uploads/2017/10/e7733-list.pdf
これまでも何度か同じことを書いたことがあると思う。
JR線に乗って奈良県に入ると風景が変わること。
奈良盆地を走る電車の窓からなだらかな大和三山を眺めながら、だんだんと悠久の時間に吸い込まれていく気分になること。
この時間の流れがとても好きなこと。
駅から一直線に目的地をめざした。
着いた時には汗ばんでいたけれど、仮講堂に入った途端に線香の香りと冷やっとする空気でいっぺんに汗が引いた。
奈良興福寺の『阿修羅 天平乾漆群像展』を観てきました。
今回は耐震補強工事のために1年間休館している興福寺国宝館に収められている群像をこの仮講堂(といってもお堂です)において配置されているというもの。
先ずはご本尊の阿弥陀如来坐像に手を合わせて。
四方を四天王像で守られ、阿修羅像を含む八部衆像をはじめ全部で25体の仏像が
それほど広くない仮講堂に並べられている。
頂いた説明書きにも「…天平の至宝・阿修羅像をはじめとする群像が醸し出す濃密な空間を体感していただき、…」とあるように、
間近でこれだけの数の群像を観ると、やはり大迫力です。
3月15日から今月の18日までという比較的長い会期であるからでしょうか、
混み合うこともなく、かと言って拝観者がまばらでもなく、ちょうどいい感じでした。
やはりこういう仏像はお寺で観るべきですね。
説明書きを読みながら一つ一つゆっくり拝見した。
その後、隣接する東金堂に移動。
中央に座する薬師如来の両脇には日光菩薩と月光菩薩。
この二人の菩薩の表情が優しい!!
後方には所狭しと並ぶ板彫十二神将立像、それぞれの頭に干支の動物がついていて観ていて楽しい♫
東金堂を出て、あまりに爽やかで気持ちがいいので奈良公園を散策した。
鹿達にはあまり近づかないようにして(おせんべいは持ってません)^^
よく歩いた^^
帰りに少し早めの夕食を。
葵の膳を頂いたけれど、期待に反して
お味はイマイチ……じゃなくて、いまみっつくらいで、大ショック!!
出来立てで出てくるデザートの葛餅は美味しかったけれど。
やはりこのお店は葛湯だな。
駅までの帰り道、飲食店以外のお店、お土産物屋さんなどは
もう7時頃に次々と閉まってしまうので、つい足も速くなるというもの。
だけど、こんな風に閉まってしまうと一気に静かになるし
夜らしく暗くなるし、
こういうのってとても奈良っぽい感じがしていい。
もちろん、他方では外国人は奈良には観光には来ても宿泊しないので……、
という経済的な問題も発生しているようだけれども。
JR線に乗って奈良県に入ると風景が変わること。
奈良盆地を走る電車の窓からなだらかな大和三山を眺めながら、だんだんと悠久の時間に吸い込まれていく気分になること。
この時間の流れがとても好きなこと。
駅から一直線に目的地をめざした。
着いた時には汗ばんでいたけれど、仮講堂に入った途端に線香の香りと冷やっとする空気でいっぺんに汗が引いた。
奈良興福寺の『阿修羅 天平乾漆群像展』を観てきました。
今回は耐震補強工事のために1年間休館している興福寺国宝館に収められている群像をこの仮講堂(といってもお堂です)において配置されているというもの。
先ずはご本尊の阿弥陀如来坐像に手を合わせて。
四方を四天王像で守られ、阿修羅像を含む八部衆像をはじめ全部で25体の仏像が
それほど広くない仮講堂に並べられている。
頂いた説明書きにも「…天平の至宝・阿修羅像をはじめとする群像が醸し出す濃密な空間を体感していただき、…」とあるように、
間近でこれだけの数の群像を観ると、やはり大迫力です。
3月15日から今月の18日までという比較的長い会期であるからでしょうか、
混み合うこともなく、かと言って拝観者がまばらでもなく、ちょうどいい感じでした。
やはりこういう仏像はお寺で観るべきですね。
説明書きを読みながら一つ一つゆっくり拝見した。
その後、隣接する東金堂に移動。
中央に座する薬師如来の両脇には日光菩薩と月光菩薩。
この二人の菩薩の表情が優しい!!
後方には所狭しと並ぶ板彫十二神将立像、それぞれの頭に干支の動物がついていて観ていて楽しい♫
東金堂を出て、あまりに爽やかで気持ちがいいので奈良公園を散策した。
鹿達にはあまり近づかないようにして(おせんべいは持ってません)^^
よく歩いた^^
帰りに少し早めの夕食を。
葵の膳を頂いたけれど、期待に反して
お味はイマイチ……じゃなくて、いまみっつくらいで、大ショック!!
出来立てで出てくるデザートの葛餅は美味しかったけれど。
やはりこのお店は葛湯だな。
駅までの帰り道、飲食店以外のお店、お土産物屋さんなどは
もう7時頃に次々と閉まってしまうので、つい足も速くなるというもの。
だけど、こんな風に閉まってしまうと一気に静かになるし
夜らしく暗くなるし、
こういうのってとても奈良っぽい感じがしていい。
もちろん、他方では外国人は奈良には観光には来ても宿泊しないので……、
という経済的な問題も発生しているようだけれども。
『マティスとルオー 50年の友情物語』
2017年5月25日 鑑賞
用事が早く済んで思わぬ時間が!♫
行ってきました。
あべのハルカス美術館で開催中の『マティスとルオー友情の手紙』展です。
見応えありました。
マティスとルオーはフランスの20世紀を代表する画家。
テーマは1890年代にパリの美術学校で学友だったマティスとルオーが、その後40年以上に渡り互いにやり取りしていた書簡。
そして、その折々に沿って二人の作風の変化が楽しいでした。
学生時代は共に同じ師の下で学んだ二人だが、次第に独自の道を進んで行く様子がそれぞれの作風から見て取れる。
ルオーの描く黒色で縁取られた構図に赤、緑、黄と青色が大胆に使われている。
それに対して、マティスの作品は正反対と言っていいほど柔らかい曲線とカラフルな色づかい。
裸婦の絵を比べてみても、ルオーの描く乳房は筋肉質を感じさせるけれど、マティスのそれはふわふわのマシュマロみたい。
二人の自筆の書簡が何通も展示されていた。
お互いに相手を思いやる内容で、第二次大戦に暮らしに困窮するルオーにマティスが油絵に使うアマニ油を送った事や、既に年老いた二人がいつも互いの身体のことをいたわり合い、後年は南仏で生活していたマティスをルオーが訪ねて再会したことなどのエピソードを知って胸が熱くなって(って、最近こんなんばっかり^^ 歳です、もう逆らえないわ)訪問後の手紙に相手を想う気持ちが溢れていて、この直後にマティスは84年の生涯を閉じました。
ルオーは宗教画として賞賛されていますが、今回の展示では私は「一家の母」という作品に釘付け。
マティスの『JAZZ』という切り絵シリーズがまとめられていて、それがとってもポップでモダン。何とこのシリーズは宇都宮美術館所蔵。
また、ルオーの作品もサントリー美術館やその他の日本の場所でも所蔵されていることを知って、この二人って日本人好みなのかな?と思った。
上:ルオー 1912年作 『一家の母』 泉屋博古館分館所蔵 (画像はネットより借用) 実物はもっと綺麗な濃い緑色に見えます。
中:マティス 1923年作 『肘掛け椅子に座る裸婦』 ギャルリーためなが所 (同じくネットより借用) おっぱいのポロン、フンワリ感^^
下:ルオー 1935年頃作 『古びた町外れにて 叉は「台所」』 パナソニック汐留ミージアム所蔵 (同じくネットより借用) 人物はキリストと言われています。かの小林秀雄がした感銘を受けた作品だと説明されていました。
行ってきました。
あべのハルカス美術館で開催中の『マティスとルオー友情の手紙』展です。
見応えありました。
マティスとルオーはフランスの20世紀を代表する画家。
テーマは1890年代にパリの美術学校で学友だったマティスとルオーが、その後40年以上に渡り互いにやり取りしていた書簡。
そして、その折々に沿って二人の作風の変化が楽しいでした。
学生時代は共に同じ師の下で学んだ二人だが、次第に独自の道を進んで行く様子がそれぞれの作風から見て取れる。
ルオーの描く黒色で縁取られた構図に赤、緑、黄と青色が大胆に使われている。
それに対して、マティスの作品は正反対と言っていいほど柔らかい曲線とカラフルな色づかい。
裸婦の絵を比べてみても、ルオーの描く乳房は筋肉質を感じさせるけれど、マティスのそれはふわふわのマシュマロみたい。
二人の自筆の書簡が何通も展示されていた。
お互いに相手を思いやる内容で、第二次大戦に暮らしに困窮するルオーにマティスが油絵に使うアマニ油を送った事や、既に年老いた二人がいつも互いの身体のことをいたわり合い、後年は南仏で生活していたマティスをルオーが訪ねて再会したことなどのエピソードを知って胸が熱くなって(って、最近こんなんばっかり^^ 歳です、もう逆らえないわ)訪問後の手紙に相手を想う気持ちが溢れていて、この直後にマティスは84年の生涯を閉じました。
ルオーは宗教画として賞賛されていますが、今回の展示では私は「一家の母」という作品に釘付け。
マティスの『JAZZ』という切り絵シリーズがまとめられていて、それがとってもポップでモダン。何とこのシリーズは宇都宮美術館所蔵。
また、ルオーの作品もサントリー美術館やその他の日本の場所でも所蔵されていることを知って、この二人って日本人好みなのかな?と思った。
上:ルオー 1912年作 『一家の母』 泉屋博古館分館所蔵 (画像はネットより借用) 実物はもっと綺麗な濃い緑色に見えます。
中:マティス 1923年作 『肘掛け椅子に座る裸婦』 ギャルリーためなが所 (同じくネットより借用) おっぱいのポロン、フンワリ感^^
下:ルオー 1935年頃作 『古びた町外れにて 叉は「台所」』 パナソニック汐留ミージアム所蔵 (同じくネットより借用) 人物はキリストと言われています。かの小林秀雄がした感銘を受けた作品だと説明されていました。
平日でお天気の良くない日は今日しかない!
ということで、
奈良に行ってきました。
滅多にJRを使っては行かないのだけれど
久しぶりに乗りたくなってJR関西本線大和路快速に乗って。
某私鉄KTO線もそうだけれど、大阪から奈良に入る時には大和川に沿って
山間のくねった線路をしばらく進みます。ついさっきまで大阪だったことを
忘れさせてくれるくらいの風景です。窓に目をやれば緑の木々や葉っぱが線路すれすれに迫っているし、下方を見れば川が走っています。
そしてそこを抜けて奈良盆地に入った時に、
大和三山に囲まれた田畑と遠くに見える寺社のシルエットに悠久の都を想い
タイムスリップした気分になります。
何とのんびりとした、そして素朴な風景なのでしょう。
しばらくぶりのJR奈良駅は駅舎が新しくなっていました。
奈良国立博物館へ駅前の道を直進、上り坂になる頃右手に猿沢池左手には興福寺を見ながら道なりに続けば到着です。
平日で天気が悪いだけじゃなく、気温がぐっと下がっていて
ダウンジャケットやコートの冬の装いの人が多かったです。
だから、なおさら今日は良い日!!(嬉)
とわくわくしながら向かったのは第67回正倉院展です。
一昨年は最終日前日の日曜日に行きましたが(そう言えばこの日も雨でした)すごい人出でどれもこれも遠巻きにしか観ることができませんでした。
今回は、前回とは違い人に押されることもなく一つ一つゆっくり時間をかけて観ることができました。見学している人たちもとてもお行儀よくて、何もかも完璧でした。
それにしても、うっとり……
とりあえず一周して、また最初に戻って二周目はさらにじっくりと(笑)
そんなことをして館内に約3時間も滞在!!
一度だけソファに腰に下しましたが、限られた時間がもったいなくて。
閉館ぎりぎりに外に出ると辺りはもう真っ暗でした。
通りを外れて興福寺の前を横切る時に、ライトアップされた五重塔が。
来た道を色んなお店を覗きながら戻り、駅の近くのお店に入って
もうすっかり慣れた「お一人様」を愉しんできました♪
*個人的な感想ですが、今回は身近な実用品が多く展示されていたように思いました。
今回の目玉は紫檀木画槽琵琶というペルシャ起源の四絃四柱の琵琶です。実際には写真で見るよりずっと優雅なフォルムでした。
花氈(かせん)というフェルトの敷物は今の住宅で使っても何ら違和感がないような色柄、ちゃんとキャップ(とは言いませんね、これは「帽」と言うらしい)のついた筆(墨がついたままなのです)、私が小学生の頃につかった一尺物差しの原型である「斑犀尺」には一寸、五分、一分の目盛りが乱れなく刻まれていてもうびっくりです。
また、来年お会いしましょう♪
ということで、
奈良に行ってきました。
滅多にJRを使っては行かないのだけれど
久しぶりに乗りたくなってJR関西本線大和路快速に乗って。
某私鉄KTO線もそうだけれど、大阪から奈良に入る時には大和川に沿って
山間のくねった線路をしばらく進みます。ついさっきまで大阪だったことを
忘れさせてくれるくらいの風景です。窓に目をやれば緑の木々や葉っぱが線路すれすれに迫っているし、下方を見れば川が走っています。
そしてそこを抜けて奈良盆地に入った時に、
大和三山に囲まれた田畑と遠くに見える寺社のシルエットに悠久の都を想い
タイムスリップした気分になります。
何とのんびりとした、そして素朴な風景なのでしょう。
しばらくぶりのJR奈良駅は駅舎が新しくなっていました。
奈良国立博物館へ駅前の道を直進、上り坂になる頃右手に猿沢池左手には興福寺を見ながら道なりに続けば到着です。
平日で天気が悪いだけじゃなく、気温がぐっと下がっていて
ダウンジャケットやコートの冬の装いの人が多かったです。
だから、なおさら今日は良い日!!(嬉)
とわくわくしながら向かったのは第67回正倉院展です。
一昨年は最終日前日の日曜日に行きましたが(そう言えばこの日も雨でした)すごい人出でどれもこれも遠巻きにしか観ることができませんでした。
今回は、前回とは違い人に押されることもなく一つ一つゆっくり時間をかけて観ることができました。見学している人たちもとてもお行儀よくて、何もかも完璧でした。
それにしても、うっとり……
とりあえず一周して、また最初に戻って二周目はさらにじっくりと(笑)
そんなことをして館内に約3時間も滞在!!
一度だけソファに腰に下しましたが、限られた時間がもったいなくて。
閉館ぎりぎりに外に出ると辺りはもう真っ暗でした。
通りを外れて興福寺の前を横切る時に、ライトアップされた五重塔が。
来た道を色んなお店を覗きながら戻り、駅の近くのお店に入って
もうすっかり慣れた「お一人様」を愉しんできました♪
*個人的な感想ですが、今回は身近な実用品が多く展示されていたように思いました。
今回の目玉は紫檀木画槽琵琶というペルシャ起源の四絃四柱の琵琶です。実際には写真で見るよりずっと優雅なフォルムでした。
花氈(かせん)というフェルトの敷物は今の住宅で使っても何ら違和感がないような色柄、ちゃんとキャップ(とは言いませんね、これは「帽」と言うらしい)のついた筆(墨がついたままなのです)、私が小学生の頃につかった一尺物差しの原型である「斑犀尺」には一寸、五分、一分の目盛りが乱れなく刻まれていてもうびっくりです。
また、来年お会いしましょう♪
Linden Blossom
2014年7月9日 鑑賞 コメント (2)
上野公園を通り抜けて東京都美術館で開催中のバルテュス展に行ってきました。
あのピカソが「20世紀最後の巨匠」と称えた画家、だそうですが
私がバルテュスを知ったのはつい最近のことです。
何の番組かは忘れましたが、彼の奥さんである節子夫人をテレビで見たのです。
その時、あの「夢見るテレーズ」が彼の作品だと知りました。
そして昨日は、二重橋前にある三菱一号美術館歴史資料室で展示されていた
「バルテュス最後の写真―密室の対話」展に行ってきました。
(バルテュス展の半券があったので100引きになっちゃった♪)
子どもでもない大人でもない「少女」は
それを描き続けた彼は美の象徴だと言います。
そのモデルとなったのは、パリでは隣人の失業者の娘(「夢見るテレーゼ」のモデル)だったり、田舎では義姉の再婚相手の娘だったり、彼女らがとるそのポーズは
う〜ん…これが本質なのか?
それとも意図された挑発なのか?
彼の作品は芸術的なエロティシズムか?
単なる性的欲望か?
いわゆるポルノなのか?ロリータなのか?
タブーは芸術と切り離せないものだし
逆にタブーを犯してないものを芸術と呼ぶのか?
とも思います。
それをはっきりと感じたのが
昨日の写真展でした。
晩年のバルテュスはある日、製作中に筆を落としてしまい
その時からモデルを何枚もポラロイドカメラにおさめた写真をデッサンがわりにしたそうです。
その時の写真が展示されていたのですが、やはり写真だとポルノティックに見えました。
(今時、あんなのをばらまいたら事件です)
もちろん作品には少女以外のモチーフもあって
特に拾った子猫MITSOUとの触れ合いを描いた40枚の絵を描き始めたのは8歳の時で
のちに詩人のリルケがこれらに文章をつけて出版されたということです。
余談ですが、Linden Blossomはバルテュスが愛した菩提樹の香水。
菩提樹と言えば、シューベルトの歌曲「菩提樹」が思い浮かんだり
お釈迦様がこの樹の下で悟りを開いた、を思い出します。
どんな香りがするのかしら?
☆三菱一号美術館の周り都会のオアシスのような場所でした。
歴史資料室はその一角にあるというより一室ですね。普通のお部屋のドアを開いて入ります。
☆画像は「夢みるテレーズ」ですが、写真はそのデッサンではありません。
この作品を描いたのは若き日のパリ。
あのピカソが「20世紀最後の巨匠」と称えた画家、だそうですが
私がバルテュスを知ったのはつい最近のことです。
何の番組かは忘れましたが、彼の奥さんである節子夫人をテレビで見たのです。
その時、あの「夢見るテレーズ」が彼の作品だと知りました。
そして昨日は、二重橋前にある三菱一号美術館歴史資料室で展示されていた
「バルテュス最後の写真―密室の対話」展に行ってきました。
(バルテュス展の半券があったので100引きになっちゃった♪)
子どもでもない大人でもない「少女」は
それを描き続けた彼は美の象徴だと言います。
そのモデルとなったのは、パリでは隣人の失業者の娘(「夢見るテレーゼ」のモデル)だったり、田舎では義姉の再婚相手の娘だったり、彼女らがとるそのポーズは
う〜ん…これが本質なのか?
それとも意図された挑発なのか?
彼の作品は芸術的なエロティシズムか?
単なる性的欲望か?
いわゆるポルノなのか?ロリータなのか?
タブーは芸術と切り離せないものだし
逆にタブーを犯してないものを芸術と呼ぶのか?
とも思います。
それをはっきりと感じたのが
昨日の写真展でした。
晩年のバルテュスはある日、製作中に筆を落としてしまい
その時からモデルを何枚もポラロイドカメラにおさめた写真をデッサンがわりにしたそうです。
その時の写真が展示されていたのですが、やはり写真だとポルノティックに見えました。
(今時、あんなのをばらまいたら事件です)
もちろん作品には少女以外のモチーフもあって
特に拾った子猫MITSOUとの触れ合いを描いた40枚の絵を描き始めたのは8歳の時で
のちに詩人のリルケがこれらに文章をつけて出版されたということです。
余談ですが、Linden Blossomはバルテュスが愛した菩提樹の香水。
菩提樹と言えば、シューベルトの歌曲「菩提樹」が思い浮かんだり
お釈迦様がこの樹の下で悟りを開いた、を思い出します。
どんな香りがするのかしら?
☆三菱一号美術館の周り都会のオアシスのような場所でした。
歴史資料室はその一角にあるというより一室ですね。普通のお部屋のドアを開いて入ります。
☆画像は「夢みるテレーズ」ですが、写真はそのデッサンではありません。
この作品を描いたのは若き日のパリ。
第65回正倉院展(何度も書き直し…)
2013年11月10日 鑑賞 コメント (2)
毎年行きたいと思いながら
何故かこの歳になるまで叶わず。
会期が半月ほどで短いのも原因だったかも?
今年も行きたいと思いつつ
このところの忙しさで諦めていたら
招待券を二枚頂きました^^
しかし、閉会まで残すところ二日、
誰を誘うことも出来なかったけれど
雨の中を奈良まで。
混み合うのを覚悟していたので
時間をずらして遅めに家を出て着いたら4時過ぎ。
奈良国立博物館までの道は、雨だったこともあり
鹿もほとんど見ませんでした。
濡れた葉が歩道に散っていたけれど
やはり紅葉はまだ三分くらいといったところです。
素晴らしかったです。
最近、美術展でも必ず音声ガイドを借りるのですが
今回もしっかり耳にヘッドフォンです。
見る物すべてが美しくてつい声を出して
「綺麗~」
「まぁ、素晴らしい~」
「きゃは~~」
独りで言いまくり。
ヘンなおばさんに思われたことでしょうね、
ま、いいやww
だって、本当に素晴らしいんだもの。
正倉院の宝物を古来より行なわれた曝涼(正しくは二水偏に京)
即ち虫干しの伝統に則り毎年秋に開封されます。
正倉院展はこの期間に合わせて1946年より始まりました。
天平勝宝八歳(756)年の五月に聖武天皇が56歳で亡くなり
77日(四十九日ですね)の6月21日に、光明皇后は天皇が大切にしていた六百数十点の薬を東大寺の大仏に献納した、これが正倉院宝物の始まりらしいです。
その際、皇后はそれぞれの献納品の目録を作成しています。
今年公開されたのは66点、一度出品されると後10年は出されることはないそうです。
宝庫には約9,000件の宝物!
どれもこれ素晴らしく、素晴らしく~~
は!素晴らしくだけでは
どんなんや?!! 笑
とにかく、もうその場を離れがたく…
閉館ぎりぎりの7時までくまなく鑑賞しましたよ。
博物館を出たら疲れがどっと!
足がよろけましたww
さてさて、あっと言う間の二週間でした。
そろそろ普段の私にもどらなきゃww
何故かこの歳になるまで叶わず。
会期が半月ほどで短いのも原因だったかも?
今年も行きたいと思いつつ
このところの忙しさで諦めていたら
招待券を二枚頂きました^^
しかし、閉会まで残すところ二日、
誰を誘うことも出来なかったけれど
雨の中を奈良まで。
混み合うのを覚悟していたので
時間をずらして遅めに家を出て着いたら4時過ぎ。
奈良国立博物館までの道は、雨だったこともあり
鹿もほとんど見ませんでした。
濡れた葉が歩道に散っていたけれど
やはり紅葉はまだ三分くらいといったところです。
素晴らしかったです。
最近、美術展でも必ず音声ガイドを借りるのですが
今回もしっかり耳にヘッドフォンです。
見る物すべてが美しくてつい声を出して
「綺麗~」
「まぁ、素晴らしい~」
「きゃは~~」
独りで言いまくり。
ヘンなおばさんに思われたことでしょうね、
ま、いいやww
だって、本当に素晴らしいんだもの。
正倉院の宝物を古来より行なわれた曝涼(正しくは二水偏に京)
即ち虫干しの伝統に則り毎年秋に開封されます。
正倉院展はこの期間に合わせて1946年より始まりました。
天平勝宝八歳(756)年の五月に聖武天皇が56歳で亡くなり
77日(四十九日ですね)の6月21日に、光明皇后は天皇が大切にしていた六百数十点の薬を東大寺の大仏に献納した、これが正倉院宝物の始まりらしいです。
その際、皇后はそれぞれの献納品の目録を作成しています。
今年公開されたのは66点、一度出品されると後10年は出されることはないそうです。
宝庫には約9,000件の宝物!
どれもこれ素晴らしく、素晴らしく~~
は!素晴らしくだけでは
どんなんや?!! 笑
とにかく、もうその場を離れがたく…
閉館ぎりぎりの7時までくまなく鑑賞しましたよ。
博物館を出たら疲れがどっと!
足がよろけましたww
さてさて、あっと言う間の二週間でした。
そろそろ普段の私にもどらなきゃww
ラピスは石、ラズリは青を意味するそうです。
『手紙を読む青衣の女』の青はラピスラズリの青。
使われている青はラピスラズリ、ウルトラマリーン。
この絵は今回修正されていた為か、余計に鮮やかな青に見えました。
ウルトラ・マリーンはその名の如く遙か遠くの国アフガニスタンから海を越えてオランダまで運ばれてきた貴重な石の青い粉です。
群青です。
フェルメールは当時のそんな貴重で神秘的な青色に拘っています。
青い衣を着けたこの女性は夫からの手紙を読んでいるのかな?
前が膨らんでいるのはお腹に赤ちゃんがいるのかな?と思って観てたら
音声ガイドも「妊娠しているのかも知れません」と。
側に置かれている2脚の椅子も青色です。
壁にある大きな地図が、夫もしくは恋人が海の向こうにいることを窺わせます。
遠くにいる人からの便りには何が書かれているのでしょう。
それを読む彼女の顔が少し不安気なのは私の気のせいかしら?
その人は彼女に美しいラピスラズリの粉を運んでくるのでしょうか。
フェルメールの青色も好きだけれど
彼のたくさんの絵に出てくる真珠が大好きです。
『手紙を読む青衣の女』の青はラピスラズリの青。
使われている青はラピスラズリ、ウルトラマリーン。
この絵は今回修正されていた為か、余計に鮮やかな青に見えました。
ウルトラ・マリーンはその名の如く遙か遠くの国アフガニスタンから海を越えてオランダまで運ばれてきた貴重な石の青い粉です。
群青です。
フェルメールは当時のそんな貴重で神秘的な青色に拘っています。
青い衣を着けたこの女性は夫からの手紙を読んでいるのかな?
前が膨らんでいるのはお腹に赤ちゃんがいるのかな?と思って観てたら
音声ガイドも「妊娠しているのかも知れません」と。
側に置かれている2脚の椅子も青色です。
壁にある大きな地図が、夫もしくは恋人が海の向こうにいることを窺わせます。
遠くにいる人からの便りには何が書かれているのでしょう。
それを読む彼女の顔が少し不安気なのは私の気のせいかしら?
その人は彼女に美しいラピスラズリの粉を運んでくるのでしょうか。
フェルメールの青色も好きだけれど
彼のたくさんの絵に出てくる真珠が大好きです。