『どうで死ぬ身の一踊り』 角川文庫
西村賢太著、この作品にはこ「墓前生活」、「どうで死ぬ身の一踊り」と「一夜」の三編が収められている。


西村賢太は先月、2022年2月5日に亡くなった。
死因は心疾患、タクシーに乗っている時に意識を失い、享年54歳。
石原慎太郎氏が亡くなって数日も経たないうちに。
石原慎太郎氏への悼む文を彼が2月2日付けで書いていたと新聞で読んでいたので奇縁だなと思った。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220201-OYT8T50129/


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西村賢太の名前を知ったのは彼が芥川賞を受賞しそれが映画化された時だ。
受賞作は『苦役列車』。

ストーリーは覚えているのだが、それは読んだからなのか、観たからなのか
その辺りが覚束ない。

で、先日の彼の死をきっかけで本を探したけれど見つからない。
目当ての本は見つからなかったけれど、この角川文庫版の『どうで死ぬ身の一踊り』と出会った。


『苦役列車』然り『どうで死ぬ身の一踊り』も超私小説で、その内容はえげつないほど自分をさらけ出していて、すごくハードであまりにも生々しくリアル。
へぇ〜、家庭内DVってそれ?
そういう男に限って謝る時はこれ?
DVではないが暴力行為で警察沙汰にもなったこともあると言う。
そりゃあ、やられる当事者にとっては作家以前に最低な男だろう。


しかし、その内容に反してこの人の使う言葉は決して汚れてはない。
それが驚くところ。
寧ろ綴られる綺麗な日本語と語彙力はこの作家のどこに宿っているのだろうと、それを探しながら読んだ。


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この作品は「清造忌」のご案内から始まる。

清造とは西村賢太が人生をかけて傾倒した藤澤清造という作家だ。
藤澤清造は石川県七尾市出身の私小説作家で貧困と病苦果て、昭和7年1月29日東京芝公園で凍死した、とある。

西村賢太はこの作家に思いを寄せ、この不遇の作家に光をあて、その故郷で清造忌を営むようになった。

「何のそのどうで死ぬ身の一踊り」は藤澤清造の言葉。


この作品には七尾市と当時同居していた女と住む東京を行ったり来たりする生活が書かれているのだが、七尾市に現れる時の西村賢太と東京にいる時の彼はまるで別人でその違いも興味深い。
確かに自分(私です)とは無関係だからこそなんだけれど、私小説家たるにはこうでなければ、とも思う。



P.195
 寝室を出て台所に戻った私は、そこらに飛び散ったカレーの汁に目をやりながら、つくづく自分が恨めしくなってきた。
 どうして、清造がらみで得意の絶頂になると、いつもこうした事態が起きるのだろうか。私は原因であることには違いないのだが、しかし、どうしていつもあの女に足を引っ張られているような感覚に、とらわれるのであろうか。
 いつか女が、「あたしの九紫火星とあなたの六白金星って、どっちから見ても相性は最悪なんだって。絶対に相容れなくって、無理に力を合わせようとすると、共倒れになるらしいよ」なぞ言ってたことを思い出す。
 その女の、呻くような啜り泣きが、幽かに聞こえてくる。
 しばらくの間、女がまだほんの一切れしか齧ってないカツの残骸に目を落としていた私は、やがてゴミ袋をひろげると、その自分で仕出かした惨状を、まるで女がやったことのような腹立たしさを覚えながら、片付け始めた。
 脳中に、いつか辿り着くことになろう、藤澤清造の墓前を思い浮かべながら、そのママゴトのなれの果てを黙々と片付け始めた。
 


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そんな作家が死んだ。
あの女性は最後まで一緒だったのだろうか?

人生の師として慕い続けた藤澤清造の隣に建てた西村賢太自身の生前墓碑が七尾市西光寺にある。




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