『PACHINKO』上 文藝春秋
2021年3月28日 本 コメント (4)
やっと読みました。
大学の図書館で借りました。
下巻は貸出中なので予約してきました。
翻訳者のおかげだと思うけれど、とにかく読み易い。
立ち止まることなく私は淡々と読んだ。
ストーリーが淀まない。
一晩で読み終えそうな勢いだったけれど (笑) 、自重して二晩で。
邦題『パチンコ』
ミン・ジン・リー 著
池田 真紀子 翻訳
歴史が私たちを見捨てようと、関係ない。
冒頭に出てくる文章が印象的だ。
まだ上巻だけだけれど、舞台が終戦前後の大阪猪飼野に移ってきたあたりから想像が膨らんだ。
彼らがまだオリジナルなパワーを持っていた時代を思った。
大阪市内には、東京でいう山手線のようなJR大阪環状線が通っている。
大阪駅のある北から西に向かって南へそして東を回って北に戻るのが内回り。
逆周りは外回りと呼んでいる。
環状だから輪だ。
大阪城はその輪のやや南よりで東半分くらいに位置する、ってこれは私の想像ですが。
ようするに大阪城はこの輪の中にある、ということを言いたい。
私が高校生の時に環状線を使っていたけれど、1960年代後半のその頃は朝はすごいラッシュで押され押されてもう通学カバンは持っている感覚はあるけれどどこにあるのか分からない(見えない)し、一緒に乗ったはずの友達とはそれぞれに押し込まれる流れが違うと下車するまでしばしのお別れ状態だった。
思い出した、痴漢も多くて酷かった。
ある時降りたら同じクラスの女子がスカートを切られていたことがあった (怖!)
触るのは突如欲求に駆られて (もちろん許せないけれど)とある意味分かるけれど、あのひだスカートはハサミで切られて蛇腹のようになっていた。しかし、あの押し込まれた状態でどうやってハサミを上手く使うことができたのだろう?
環状線のどんな駅でも、降りると出口が左右に分かれている。
その輪の内側と外側だ。
内側と外側では空気が違う。
内側と外側では区名が違うのだ。
私が通っていた高校はいわゆる当時の文教地区にあったので、内側へと進む。
外側へ進むとすぐに商店街があって、部活帰りにはそこのメインストリートから少し外れた路地にあるお好み焼き屋直行して腹ごしらえして駄弁ってから帰路に就いたものだった。
話がそれてきている... ...笑
環状線のちょうど東に位置するのは鶴橋という駅だ。
その頃は私鉄の乗り換え駅だったので乗降客が多かったし、ここで降車するクラスメートもいたし乗り換えている人も多かった。
その駅に着いてドアが開くと必ず香ばしいような食欲をそそる匂いがする。
ずいぶん後になってからそれは焼肉だと知った。
それからまたずいぶんと時間が経ってから鶴橋の有名なお店で食べる機会を得た^^
焼肉を食べに行った時に改札口を出るとすぐに細い路地が入り組んでいる商店街があるのを知った。
この近くにコリアタウンがある。
それ以後、時々この駅で降りるようになった。
商店街では何軒ものキムチの店(何種類ものキムチ!!)、雑貨店、韓流アイドルのグッズ店やそれはそれは美しいチマチョゴリのお誂え店がある。ここを抜けてしばらく歩くとコリアタウンのメインゲイトが見えてくる。
数年前にここまでやっと行ったことがあるけれど昼間だったので半分以上のお店は閉まっていた。冬の寒い日だったけれど観光客も多かった。若い女の子たちがアイドルショップでブロマイドやグッズを選んでいた。
百済神社もあった、と思う。
私が通っていた高校は、当時では珍しかったかな?、卒業した年は学年全員進学(浪人はいたけれど)だった。当時の3年は5クラスあって理系志望、文系志望に分けられた。理系は断然男子が多いのだけれど十数名の女子がいた。そしてその女子のほとんどが医学部志望。
親しい友達2人が医学部志望だった。
Fさんは家業が医者。
もう1人のMさんは2人の兄も医者で、家業はパチンコ店。
彼女の口癖は「医学部に行くこと」だったし、彼女はその理由を私たちに説明してくれていた。
どちらにしろ、名前ですぐに彼女が日本人ではないことは知っていた。
ただ、私の無関心さと無知から、彼女の家庭が北なのか南出身なのか、それを確認することはなかった。
そして、彼女は私立大学の医学部に進学した。
そんなことを懐かしく思い出しながら上巻を読み終えた。
* 美藤さん、はちさん^^
上巻のみですが読了。
まだパチンコは影も形もないですが、そのうち現れるのかしら?
下巻が待ち遠しいです。
大学の図書館で借りました。
下巻は貸出中なので予約してきました。
翻訳者のおかげだと思うけれど、とにかく読み易い。
立ち止まることなく私は淡々と読んだ。
ストーリーが淀まない。
一晩で読み終えそうな勢いだったけれど (笑) 、自重して二晩で。
邦題『パチンコ』
ミン・ジン・リー 著
池田 真紀子 翻訳
全米図書賞、最終候補作。
四世代にわたる在日コリアン一家の苦闘を描いて全世界で共感を呼んだ大作、ついに日本版刊行成る!
日本に併合された朝鮮半島、釜山沖の影島。下宿屋を営む夫婦の娘として生まれたキム・ソンジャが出会ったのは、日本との貿易を生業とするハンスという男だった。見知らぬ都会の匂いのするハンスと恋に落ち、やがて身ごもったソンジャは、ハンスには日本に妻子がいいることを知らされる。許されぬ妊娠を恥じ、苦悩するソンジャに手を差し伸べたのは若き牧師イサク。彼はソンジャの子を自分の子として育てると誓い、ソンジャとともに兄が住む大阪の鶴橋に渡ることになった……
1910年の朝鮮半島で幕を開け、大阪へ、そして横浜へ――。小説というものの圧倒的な力をあらためて悟らせてくれる壮大な物語。構想から30年、世界中の読者を感動させ、アメリカ最大の文学賞・全米図書賞の最終候補作となった韓国系アメリカ人作家の渾身の大作。
作者 ミン・ジン・リー
リーは韓国ソウルに生まれ、1976年、7歳のときに家族とアメリカ合衆国に渡る。
両親が卸売宝石店を経営していたニューヨーク市、クイーンズのエルムハーストで育つ [1]。 移民一世であるリーはクイーンズ公共図書館に通って英語の読み書きを覚える[2]。ブロンクス科学高校を卒業。イェール大学に進学し歴史学を学ぶ。その後にジョージタウン大学ローセンターで法律を学んだ 。
1993年からニューヨーク州で企業内弁護士として働くが、1995年には執筆活動に専念するために辞める。リーはニューヨーク市ハーレムに、日本人の血を引く夫、クリストファー・ダフィーと息子とともに暮らす [3]。2007年から2011年までの4年間は東京に住んでいた[4]。
作家としてのリーに最も影響を与えた作品として、 ジョージ・エリオットによる『ミドルマーチ 』、 オノレ・ド・バルザックによる「いとこのベット』 、そして聖書が挙げられた[5]。
リーは、韓国の朝鮮日報の「モーニングフォーラム」特集の英語コラムニストとして3シーズンの間執筆を行った[6]。
また、ライティング、文学、政治学についての講義をコロンビア大学、アマースト大学、タフツ大学、ロヨラメリーマウント大学、スタンフォード大学、ジョンズホプキンス大学(SAIS)、コネチカット大学、ボストン大学、ハミルトン大学、ハーバード・ロー・スクール、イェール大学、梨花女子大学校、早稲田大学、アメリカンスクール・イン・ジャパン、世界女性フォーラム、アメリカ大使館のアメリカンセンターJAPANなどで行ってきた。彼女は現在、マサチューセッツ州のアマースト大学でライター・イン・レジデンスとして招致されている。
Wikipediaより抜粋
歴史が私たちを見捨てようと、関係ない。
冒頭に出てくる文章が印象的だ。
まだ上巻だけだけれど、舞台が終戦前後の大阪猪飼野に移ってきたあたりから想像が膨らんだ。
彼らがまだオリジナルなパワーを持っていた時代を思った。
大阪市内には、東京でいう山手線のようなJR大阪環状線が通っている。
大阪駅のある北から西に向かって南へそして東を回って北に戻るのが内回り。
逆周りは外回りと呼んでいる。
環状だから輪だ。
大阪城はその輪のやや南よりで東半分くらいに位置する、ってこれは私の想像ですが。
ようするに大阪城はこの輪の中にある、ということを言いたい。
私が高校生の時に環状線を使っていたけれど、1960年代後半のその頃は朝はすごいラッシュで押され押されてもう通学カバンは持っている感覚はあるけれどどこにあるのか分からない(見えない)し、一緒に乗ったはずの友達とはそれぞれに押し込まれる流れが違うと下車するまでしばしのお別れ状態だった。
思い出した、痴漢も多くて酷かった。
ある時降りたら同じクラスの女子がスカートを切られていたことがあった (怖!)
触るのは突如欲求に駆られて (もちろん許せないけれど)とある意味分かるけれど、あのひだスカートはハサミで切られて蛇腹のようになっていた。しかし、あの押し込まれた状態でどうやってハサミを上手く使うことができたのだろう?
環状線のどんな駅でも、降りると出口が左右に分かれている。
その輪の内側と外側だ。
内側と外側では空気が違う。
内側と外側では区名が違うのだ。
私が通っていた高校はいわゆる当時の文教地区にあったので、内側へと進む。
外側へ進むとすぐに商店街があって、部活帰りにはそこのメインストリートから少し外れた路地にあるお好み焼き屋直行して腹ごしらえして駄弁ってから帰路に就いたものだった。
話がそれてきている... ...笑
環状線のちょうど東に位置するのは鶴橋という駅だ。
その頃は私鉄の乗り換え駅だったので乗降客が多かったし、ここで降車するクラスメートもいたし乗り換えている人も多かった。
その駅に着いてドアが開くと必ず香ばしいような食欲をそそる匂いがする。
ずいぶん後になってからそれは焼肉だと知った。
それからまたずいぶんと時間が経ってから鶴橋の有名なお店で食べる機会を得た^^
焼肉を食べに行った時に改札口を出るとすぐに細い路地が入り組んでいる商店街があるのを知った。
この近くにコリアタウンがある。
それ以後、時々この駅で降りるようになった。
商店街では何軒ものキムチの店(何種類ものキムチ!!)、雑貨店、韓流アイドルのグッズ店やそれはそれは美しいチマチョゴリのお誂え店がある。ここを抜けてしばらく歩くとコリアタウンのメインゲイトが見えてくる。
数年前にここまでやっと行ったことがあるけれど昼間だったので半分以上のお店は閉まっていた。冬の寒い日だったけれど観光客も多かった。若い女の子たちがアイドルショップでブロマイドやグッズを選んでいた。
百済神社もあった、と思う。
私が通っていた高校は、当時では珍しかったかな?、卒業した年は学年全員進学(浪人はいたけれど)だった。当時の3年は5クラスあって理系志望、文系志望に分けられた。理系は断然男子が多いのだけれど十数名の女子がいた。そしてその女子のほとんどが医学部志望。
親しい友達2人が医学部志望だった。
Fさんは家業が医者。
もう1人のMさんは2人の兄も医者で、家業はパチンコ店。
彼女の口癖は「医学部に行くこと」だったし、彼女はその理由を私たちに説明してくれていた。
どちらにしろ、名前ですぐに彼女が日本人ではないことは知っていた。
ただ、私の無関心さと無知から、彼女の家庭が北なのか南出身なのか、それを確認することはなかった。
そして、彼女は私立大学の医学部に進学した。
そんなことを懐かしく思い出しながら上巻を読み終えた。
* 美藤さん、はちさん^^
上巻のみですが読了。
まだパチンコは影も形もないですが、そのうち現れるのかしら?
下巻が待ち遠しいです。
コメント
去年読んだ時のぐいぐいと引き込まれるパワーがいまだに忘れられない
たかが読書なのに、読書以上の何か言葉に表せない熱いものが伝わってくるんですよね
パチンコ出てきますよ、もちろんデジタルではなく、釘が命だったころのパチンコ
お楽しみに!
横浜も当然ながら華僑と在日の人々は多くて慣れている人は多いんじゃないかなと思う上に、ここ10年以上で、繁華街で働く韓国系はさらに増えてますけど、暮らしの中にいるかというと???
数年前に仕事でソウルに行った時に、あの独特な熱気とパワーに Wow! と思ったのを思い出しました。
やっと読みました~。
1976年生まれだけれど作者も移民一世、やはり共通したオリジナルなパワーがあるのかと思います。とにかく逞しさをひりひりと感じながらよみました。強いから逞しいのか逞しいから強いのか、逞しいと強いは同義語?(ですよね?笑)
あの量でしたがあっという間に読み終えました。
私はパチンコ店を日本以外で見たことはないですが、
起源は日本じゃないのかしら? 要調査です^^
早く下巻を読みたいな〜。
> いつ読めるかしらねぇー。
単行本なので値段と置き場所が問題。なので、図書館で予約して辛抱強く待ちましたよ。文庫にはならないかな?
横浜も神戸もそうですが、中華街の印象が強いです。
娘婿は北陸出身なので拉致問題はよく知っていたけれど、こちらの大学に来た時、初めて身近で接したそうです。
私もソウルに行ったのは10年以上前ですが、おばちゃんと言うべきかオモニと言えばいいのか、彼女たちのパワーと無愛想な親切に感激しました。
あの無愛想さにハマりました^^