2年前の3月に私が入院した時、東京から実家に向かわれる途中でわざわざ下車して病院までお見舞いに来て下さった。
お見舞いに来たのに病人の傍で「Mに先に逝かれたのが辛い。申し訳なくて仕方がない。早くMのところに行きたい」と大泣きされて病人の私が慰めるはめに。
私も同じく配偶者を亡くしているけれど、申し訳ないと思ったことはない。もちろんそれまでの事に感謝はしたけれど、直後には義母のこともあったし、全てがもっと具体的で我が家の経済状態は? 三人の子どもたちの生活は? どうやって家族を守っていこうか、と2,3年はそんな現実問題で頭がいっぱいだった。たぶん、泣いている暇などなかったのだ。
少なくともそういう想いを誰かに伝えようとはしなかった。
そんな同い年の男性が先週末に旅立った。
2017年11月には奥さまを病で亡くされて、今は末っ子の息子さんと二人暮らし。
今では古臭い言葉だけれど、絵に描いたような企業戦士だった。
何をしてもトップになりたい人でそのために努力も惜しまなかった人だった。
仕事ではトップの座に就いた。
大好きだったテニスもスキューバダイビングとも定年と同時に妻を亡くしてからいつの間にか遠のいた。
彼の中でぷっつりと何かが切れてしまったのが
私にもわかった。
体全体が喪失感で覆われていた。
現役時代は家族を伴い長期にわたる海外勤務、20年前に帰国してからも名古屋。大阪と単身赴任生活が続いた。
そんな仕事ばかりの生活では毎晩のように付き合いで酒量も増えた。
私とは同い年で、あんな同級生は絶対に敬遠していたタイプ(笑) だけれど、こちらに赴任中も東京に行った時にも必ず美味しいお店に連れて行って下さり、付き合いを深めていく中で互いに信頼も生まれてきた、と思うようになった。
そんな席でもお酒のことではしょっちゅう家族から反省を求められ、仕事やり手でイケイケなパパが小さくなっているのを見た時は意外に可愛いなと思った^^
同い年の方の訃報はやはりこたえます。
自分の最期が現実味を帯びるだけれはなくて、
心の中がざわざわとして落ち着きが無くなる。
出会うたびに、可愛い孫たちにも恵まれたのだから、Tさんは片方のおじいちゃんそして私はもう片方のおばあちゃんとして家族のために元気で長生きしましょう、と言っていたのに。
先週の始めに体調を崩されて受診、以前からの肝硬変が悪化していた。
家族は強制的にでも入院させて欲しいと頼んだけれど本人が絶対に嫌だと聞き入れてくれなくて仕方なく帰宅し訪問看護師さんの手配をしている最中、ということは聞いたのは木曜日の夜だった。
やっと奥さまと再会が叶った。
一緒に子どもや孫たちを見守っていて下さい、
と願わずにいられない。
長男家の二人の孫にはhanaばぁばだけになってしまった。
結構重圧であります。
でも、
本当に私が長生きしなくちゃね、しなくちゃね。
しなくちゃ、しなくちゃ、しなくちゃね。
Tさん、Mさん
私を元気で長生きさせて下さい、頑張りますから。
お見舞いに来たのに病人の傍で「Mに先に逝かれたのが辛い。申し訳なくて仕方がない。早くMのところに行きたい」と大泣きされて病人の私が慰めるはめに。
私も同じく配偶者を亡くしているけれど、申し訳ないと思ったことはない。もちろんそれまでの事に感謝はしたけれど、直後には義母のこともあったし、全てがもっと具体的で我が家の経済状態は? 三人の子どもたちの生活は? どうやって家族を守っていこうか、と2,3年はそんな現実問題で頭がいっぱいだった。たぶん、泣いている暇などなかったのだ。
少なくともそういう想いを誰かに伝えようとはしなかった。
そんな同い年の男性が先週末に旅立った。
2017年11月には奥さまを病で亡くされて、今は末っ子の息子さんと二人暮らし。
今では古臭い言葉だけれど、絵に描いたような企業戦士だった。
何をしてもトップになりたい人でそのために努力も惜しまなかった人だった。
仕事ではトップの座に就いた。
大好きだったテニスもスキューバダイビングとも定年と同時に妻を亡くしてからいつの間にか遠のいた。
彼の中でぷっつりと何かが切れてしまったのが
私にもわかった。
体全体が喪失感で覆われていた。
逝った大切な人を思うとき、人は悲しみを感じる。だがそれはしばしば、単なる悲嘆では終わらない。悲しみは別離に伴う現象ではなく、亡き者の訪れを告げる出来事だと感じることではないだろうか。
愛しき者がそばにいる。どうしてそれを消し去る必要があるのだろう。どうして乗り越える必要などあるのだろう。賢治がそうだったように、悲しみがあるから生きていられる。そう感じている人はいる。出会った意味を本当に味わうのは、その人とまみえることができなくなってからなのかもしれない。
若松英輔 著 『悲しみの秘儀』より
現役時代は家族を伴い長期にわたる海外勤務、20年前に帰国してからも名古屋。大阪と単身赴任生活が続いた。
そんな仕事ばかりの生活では毎晩のように付き合いで酒量も増えた。
私とは同い年で、あんな同級生は絶対に敬遠していたタイプ(笑) だけれど、こちらに赴任中も東京に行った時にも必ず美味しいお店に連れて行って下さり、付き合いを深めていく中で互いに信頼も生まれてきた、と思うようになった。
そんな席でもお酒のことではしょっちゅう家族から反省を求められ、仕事やり手でイケイケなパパが小さくなっているのを見た時は意外に可愛いなと思った^^
同い年の方の訃報はやはりこたえます。
自分の最期が現実味を帯びるだけれはなくて、
心の中がざわざわとして落ち着きが無くなる。
出会うたびに、可愛い孫たちにも恵まれたのだから、Tさんは片方のおじいちゃんそして私はもう片方のおばあちゃんとして家族のために元気で長生きしましょう、と言っていたのに。
先週の始めに体調を崩されて受診、以前からの肝硬変が悪化していた。
家族は強制的にでも入院させて欲しいと頼んだけれど本人が絶対に嫌だと聞き入れてくれなくて仕方なく帰宅し訪問看護師さんの手配をしている最中、ということは聞いたのは木曜日の夜だった。
やっと奥さまと再会が叶った。
一緒に子どもや孫たちを見守っていて下さい、
と願わずにいられない。
長男家の二人の孫にはhanaばぁばだけになってしまった。
結構重圧であります。
でも、
本当に私が長生きしなくちゃね、しなくちゃね。
しなくちゃ、しなくちゃ、しなくちゃね。
Tさん、Mさん
私を元気で長生きさせて下さい、頑張りますから。
コメント
いっぱいいっぱいいっぱい長生きしますよ(^o^)
自分の身に置き換えて考え様にも想像がつきません。
今頃は最愛の奥様とご一緒ですね。
謹んでご冥福をお祈りします。
hanaさん。いつも頭が上がるほどのバイタリティーをお持ちです。
そしてポジティブで行動力もおありです。
無用なご心配をなさらずにどうぞご自愛ください。
ええ、長生きできますとも!
頭が上がるなんて書かれているじゃないですか!!
勿論頭が下がるの間違いです。
私は長生き出来そうですが、頭が健康であるか些か不安です。
とんだご無礼を致しました。
馬鹿なまるこのしそうな事とお許しくださいませ。
軽い気持ちで(遠くの孫ちゃんたちに)「会えますよ^ ^」なんて言ってしまいました。
不安になりそうな気持ちを奮い立たせようとされていたんですね。ごめんなさい。
妻に先立たれた男性は一気に気弱になるといいますが、実家の父が母を38で亡くしても気合で踏ん張れたのは、やはり3人の娘をこれからどうして育てるか、
hanaさんと同じように、泣いてる暇がなかったからだと思います。
hanaさん、一緒に可愛い孫の成長を見守っていきましょう。
出来るだけ楽しく、自分のために好きな時間を過ごしましょうね(^_^)
こういう時「一路好走」って中国語では言うんですよ。道々楽しくお逝きください位の意味になりますかね。日本語では「悔やむ」「悼む」と悲しげな言葉が出て来ますけど、機嫌よく行ってくださいねって言うのも良いかなと思います。さっぱりとした大陸的な考え方ですね。
いままで散々人の為にやり切ったhana姐はこれから自分勝手に楽しく生きる権利があるんだから、夜中に起きておやつを食べるも良し、行きたい所に行くも良し、好き勝手に楽しんで下さいよ。で、わしにスペイン語をなーんとなく教えてくださいな。頼みますー!
あっという間の突然のお別れ。心の準備も出来ないまま。
身近の方の旅立ちはお辛いですね。
ありすさん、いつもコメント読ませていただいています。
途中で口をはさんで失礼します。
「一路好走」って言うのですね。いい言葉ですね。本当にそうですね。
Tさんは、素晴らしい人生を送られて今奥様の元。
hansaさん、大丈夫。大丈夫。hanaさんですもの。
hanaさんのされてきたことは全て子供さんたちが見ています。
みなさんが見守ってくれます。
元気で長生き出来ないわけがありません。
お孫ちゃんのお話聞かせてくださいね。
hanaさん
ありがとうございます。
したい、と言うより元気で長生きしなければと。
おばあちゃんとの思い出は作っておいてあげたいですもの^^
お気になさらずに^^ ぜんぜん気づかすに拝見していました(笑)
私も誤字脱字はしょっちゅうでDNも素知らぬ顔で書き直しておりますよ。
歳のせいでしょうか? 3年ほど前から死がそれほど遠いことのように思えなくなりました。でも、私ひとりくらい元気でおばあちゃん役を務めないといけませんね。
ありがごうございます、頑張ります。
う〜ん、さすがポピーさん。
ぎゅっ!(嬉! 笑)
以下、上手く言葉になりません。
ありがとう〜、この気持ちが松山まで飛んで行きますように!!www
「一路好走」とはいいですね〜。先行き明るいわ〜♪
この中国語は素晴らしい!!
そうですね、手強い母がいますがね^^ 真夜中におやつでもステーキでも食べるくらいの自由はあります(涙)
そそ、スペイン語ならいつでも喜んで! その代わり、出来そうにもないけれど中国語を
por favor.
身近な同年代の人の死はつい自分の身に置き換えてしまいますね。超身近には母がいますが今年90歳になるので別物です(笑) そうですね、今気づきましたが、孫たちだけじゃなくてこの母のためにも私はまだ元気でいなければ... ...でした。
「一路好走」いい言葉ですよね。これなら覚えられそうです。
いつもお優しいお言葉に励まされます。
残された家族が力を合わせて、それが一番の供養になるのだと思います。