『推し、燃ゆ』  河出書房新社
読みたい記事があったので文藝春秋三月特別号を買った。

表紙に「芥川賞発表 受賞作全文掲載&選評 宇佐見りん『推し、燃ゆ』」
ああ、そうか。
芥川賞の発表があって、史上最年少?いや、二番目それとも三番目だったかな。
若い現役大学生が受賞したことは知っていた。

滅多に最新作というのは読まないのだけれど、これも巡り合わせ^^わざわざ単行本を買うことなく読めるのだから。

第百六十四回芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』宇佐見りん 作、を読んだ。


私みたいなおばあちゃんは先ず「推し」という言葉の意味が的確に捉えられない (おっと、ここで「おばあちゃん=流行り言葉の意味がわからない」は差別発言に抵触するかも… …でも、私は正真正銘のおばあちゃんだから大目に見て下さい^^ )

推しメンという言葉は数年くらい前に知り合いの異国に住む若い女性を介して知った。
彼女は当時のAKB48のファンだった。
メンバーの中で自分が推す人、これが推しメンだ。
ファンやご贔屓ではダメなのか?と単純に思ったけれど、確かに普通のファンとは違う何かを私も感じた。それは入れ込み方なのか、応援の仕方なのか、それとも彼女の生活にとっての「何か」なのか。
そこでは「推しメン」と呼ぶことに意味があったのだろう、きっと。
だから、この本では「推し」と呼ぶべきなのだ、きっと。

そんな異国に住む彼女のことを懐かしく思い出しながら読み始めた。

上手く折り合えず辛い現実に直面している女子高生はアイドルグループの真幸を「推す」。彼女にとってその「推し」は全てだ。
「推し」の全てを解釈したい、推しの発言を聞き取って書き留めたものは何冊ものファイルに綴じられている。CDやDVD、コンサートに行けばそこで売られているグッズをすべて手に入れる。CDやDVD等を鑑賞用、保存用そして貸出用と必ず三つ揃える。
そのためにアルバイトをしている。
そのためにだけなら居酒屋でもアルバイトができる、手際の悪さをしょっちゅう注意されても。
「推し」を自分なりに解釈するためが生活のすべて。
高校も途中で辞めた。

その推しが燃えた。ファンを殴ってSNSが炎上している。
その出来事が発端となり物語が進む。

彼女が何か障害を抱えていることが見えてくる。
だからこそ「推し」の存在が必要なのだ。
読みながら、破滅に向かっているのではないかという思いが湧いてくる。
それは若いからでもあり、弱いからでもありそして「推し」が存在するからでもあり。
こういう痛みがある、痛みがやけに生々しい、そしてその痛みは確実に伝わってくる、とおばあちゃんはそんなことを思い出した。

「推し」とは、たぶんだけれど、おばあちゃんの判断では
「推し= 全身全霊」、それがすべて。
生きるために不可欠なもの。



短い文章が読み易い、ゆえにスピード感もあって
あっという間に最後にたどり着いた。


最後の二行、

−−− 二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。


この後、彼女はどうなるのか?という余韻を残して。
(これはありがちですね。読者に委ねられるのでしょうか)



受賞者インタビューも掲載されていて、これがよかったです。

宇佐見りんにも13歳の時から8年間推している「推し」の俳優がいると前置きしている。

宇佐見: 今の世の中、他律的な生き方は否定されがちですよね。でも、誰しも自力で歩いていくのが難しいときが絶対あると思うんです。そういうときに、「自分の足であるけ。生きろ」というのは冷たくないかなと。「生きてさえいればいい」なんて言いますけど、ベッドに横たわってもう全然動けない、だから何もしない、ということって誰も許してくれないですよね。そんな生きづらさをなんとか凌いで前に進む方法の一つとして、推しを推すことに人生を懸けることもあるんだよ、という現実を書きたいと思いました。 推しなんてただの趣味で、自分を預けるべきではあいという見方もあると思います。実際にそういう感想も目にしました。私もそれがおおっぴらに許されるべきだと主張したいのではありません。でもそこに切実な現実がある、そうやって生きている人がいる、そのことをそのままに描写したいと思いました。

 (hana) ああ、これは若いからとかそういうことではないですね。すごくわかります、経験者として。私も自分を預けていたなぁ、と。とっても密かにだったけれど。
自分で自分を許せたらそれでいいんじゃない? と今は思えます。


宇佐見:よく「明けない夜はない」というようなことを言う人がいますよね。もちろんそれはその人にとっての真実だと思うのですが、私は「明けなさ」もあると思っていて。私は、少なくとも三年のあいだ「夜が明けない」状況で出口が見えなかった。だから「明けない夜はない」とかそういうことは言えません。自分にとって本当に大切だった人や時間が壊れていく喪失感や痛みにどう耐えるか、耐えられなくても現実とはどういうものか、そういうことに関心があります。


(hana) 自分の世界と現実とギャップの中での絶望や痛み、誰しも覚えがあるのではないでしょうか。耐えても耐えられなくても、越えられなくても現実は常に横たわっているのだから。






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