以前にも、たぶん毎年書いているような気がするのだけれど、
私が生まれた時はまだ戦後7年しか経っていなかった、ということ。
私は戦後っ子だ。
今から7年前のことは鮮明に思い出せる。
それを思うと私が生まれた頃はきっとまだ戦後が色濃く残っていたに違いない。
毎晩寝る時には父や母から戦争の話しを聞いたことは覚えている。
母の話はいつも同じで、実家の中庭に防空壕があって空襲警報が鳴るとそこに駆け込んだこと。学校帰りに低空飛行の戦闘機が見えて怖かったこと。終戦間近になると食べ物が乏しくなり祖母(母の母)が着物をもって奈良の田舎に行って食料を調達するのだけれど帰りに汽車の中で検閲があるので、母たちは打ち合わせした場所まで行って祖母が窓から落とす荷物を拾ったこと。母は4人姉妹弟だったけれど、祖父(母の父)が長男でその弟たちも同居していたので祖母の苦労は想像がつく。終戦の時母は14歳、15歳で進んだのは女学校、旧制と新制が両方あって母は旧制の女学校に進み卒業した。
父の話は戦場が多かった。飛行機に乗っていたので南の国の話を聞いた。写真に映る父は所謂戦闘服と帽子にサングラス、後ろにバナナの木があったり戦闘機が写っているのも見たことがある。両手はいつも腰に当てていた。その時は考えることもなかったけれど、彼は確実にどこかの国のどこかの街を攻撃したのだ。そして、同じように思うのはよく無事に還ってきたということ。還ってきたから私がいる。
父の兄弟姉妹が多かったけれど、祖父母にとっては長男が戦死している。それを知ったのは私が小学生低学年の頃で父の実家のお墓に初めて見る名前の書かれた暮石を見つけた時だった。祖父母からその話を一度も聞いたことはない。
父や母の話を何度も聞いていたはずなのに、自分が見ていない世界のことを現実として捉えることの難しいこと... ...。
戦争などあってはならない、と誰もが思うはず。
オートマテックに思うのだ。
でも、現実はどうか?
どうして戦争をしてはいけないの?というのは愚問だろうか?
戦争で被害者としての思いばかりを語るのはどうかと思う。
敗者であったから加害者ではない、などとは言えない。
勝者であったから被害者がいないわけなんてない。
加害者の被害者も、いつもそれは庶民だ。
戦争などあってはならない、と叫びつつ
今の世界のどこかで戦争や戦闘は明らかに続いている。
自由や権利の剥奪、差別され続けたら
黙っていよ、というのか。
平和的に解決せよ、というのか。
そんなことを言うのは他人事だからではないのか。
香港やベラルーシのニュースはすぐそばにある。
どうして戦いや争いはなくならないのですか?
私が生まれた時はまだ戦後7年しか経っていなかった、ということ。
私は戦後っ子だ。
今から7年前のことは鮮明に思い出せる。
それを思うと私が生まれた頃はきっとまだ戦後が色濃く残っていたに違いない。
毎晩寝る時には父や母から戦争の話しを聞いたことは覚えている。
母の話はいつも同じで、実家の中庭に防空壕があって空襲警報が鳴るとそこに駆け込んだこと。学校帰りに低空飛行の戦闘機が見えて怖かったこと。終戦間近になると食べ物が乏しくなり祖母(母の母)が着物をもって奈良の田舎に行って食料を調達するのだけれど帰りに汽車の中で検閲があるので、母たちは打ち合わせした場所まで行って祖母が窓から落とす荷物を拾ったこと。母は4人姉妹弟だったけれど、祖父(母の父)が長男でその弟たちも同居していたので祖母の苦労は想像がつく。終戦の時母は14歳、15歳で進んだのは女学校、旧制と新制が両方あって母は旧制の女学校に進み卒業した。
父の話は戦場が多かった。飛行機に乗っていたので南の国の話を聞いた。写真に映る父は所謂戦闘服と帽子にサングラス、後ろにバナナの木があったり戦闘機が写っているのも見たことがある。両手はいつも腰に当てていた。その時は考えることもなかったけれど、彼は確実にどこかの国のどこかの街を攻撃したのだ。そして、同じように思うのはよく無事に還ってきたということ。還ってきたから私がいる。
父の兄弟姉妹が多かったけれど、祖父母にとっては長男が戦死している。それを知ったのは私が小学生低学年の頃で父の実家のお墓に初めて見る名前の書かれた暮石を見つけた時だった。祖父母からその話を一度も聞いたことはない。
父や母の話を何度も聞いていたはずなのに、自分が見ていない世界のことを現実として捉えることの難しいこと... ...。
戦争などあってはならない、と誰もが思うはず。
オートマテックに思うのだ。
でも、現実はどうか?
どうして戦争をしてはいけないの?というのは愚問だろうか?
戦争で被害者としての思いばかりを語るのはどうかと思う。
敗者であったから加害者ではない、などとは言えない。
勝者であったから被害者がいないわけなんてない。
加害者の被害者も、いつもそれは庶民だ。
戦争などあってはならない、と叫びつつ
今の世界のどこかで戦争や戦闘は明らかに続いている。
自由や権利の剥奪、差別され続けたら
黙っていよ、というのか。
平和的に解決せよ、というのか。
そんなことを言うのは他人事だからではないのか。
香港やベラルーシのニュースはすぐそばにある。
どうして戦いや争いはなくならないのですか?
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