共感! 『祖国とは国語』講談社
2020年2月15日 本 コメント (6)
藤原正彦 著
この著名な数学者は作家新田次郎と藤原ていの息子としても名が知れているし、
彼の書くエッセイは読みやすくて、その内容も個人的に好みだ。
『祖国とは国語』は2000年から3年間にわたり新聞掲載されたエッセイをまとめたものらしい。
どおりで読みやすい。
ただし、20年ほど前のことではあるけれど、それを差し引いても楽しめる内容だった。
タイトルを見るだけで、どんなことが書かれているのか
だいたいの想像がつく。
ただ、著者曰く「なお、題名の「祖国とは国語」は、もともとフランスのシオランという人の言葉で、それを私の敬愛する今は亡き山本夏彦さんが引用したのを、あまりにカッコよいのでちゃかり再引用したものである」
なのでこのタイトルはオリジナルではない。
この私でさえ、自分の子どもが小学生の頃から、声を大にして唱えておりましたですよ(笑)
日本人なら「読み、書き、そろばん! 読み、書き、そろばん!!」
もちろん誰にも得手不得手があるけれど、読む人は書ける。
だから、作家を志す人に「とにかく読みなさい」というアドバイスがあるのだ。
読まないと書けない。
数学にしても国語力がないと理論を理解できないだろうしね。
計算が早くても文章題のできない生徒はいっぱいいる。
計算が遅くても難しい問題を解く生徒もいる。
だから、医師にして作家、
藤原正彦のように数学者にしてエッセイストというのは
当然ながらあり得る。
読書好きの人は多い。
しかし、作者が言うのは
読書は我慢強さと結びつく、ということ。
そう、文字を追いながら本を読むことは
彼が言うように映像と音声が向こうからやって来るテレビとは違い
ずっと忍耐力を必要とする行為なのだ。
そして、その忍耐力や粘り強さがなければ考え続ける力は養われず、
すぐに諦めてしまう。
数学の問題を解く力がないのではなく、考え続ける力がないのだ。
我慢強さはあらゆる場面において必要なのだ。
これが当時(十年も続く経済不況に対する政府の政策が、すべて空振りとなるのを、国民が脱力感とともに眺めていた時期)の日本の現状を憂いた著者の日本語絶対論である、ようだ。
はい、はいおっしゃる通りで
反論の余地はない、と思う。
全く同感である。
そうだ、そうだ〜、
グローバルとかなんちゃら言って日本語である国語を疎かにし
日本語の語彙に乏しく、自分の国の言葉で何一つ考えを語れない
大人にするのは一体誰だ〜???
と仕事仲間としょっちゅう嘆いていることです。
。
語彙力がないと考える力はつかない。
人間は言葉で思考するのだ。
とは言え、これは我々大人達の責任でもありますね。
そのような教育をしてきたのだから。
しかし、ここで言いたい。
この国のリーダー達の語彙力を知るにつれ
そりゃあ、あかん!!
と誰でも思うんじゃない?
語彙力も、加えて言えば忍耐力もないから、
アホみたいな中身のない議論(議論にもなってない。だって、自分の言葉がないから)
で時間を潰し、それも国民の血税でだ。
アホを百万回言っても私などは気が済まない。
ということで、この国のリーダー達に高次の情緒を望むことは
今や不可能。
書けばきりがないけれど、なるほどなぁと思わされる。
続く「愛国心と祖国愛」も後半部分の「満州再訪記」では
彼の国家観や第二次大戦での彼の両親のことなどが書かれていて、
知らなかった事を、知りたいと思っていた事が分かった、つもり(笑)
日露戦争から日中戦争、第一次大戦、太平洋戦争、そしてどうしてあのような結果を招いたのかをとても分かりやすく書いていた。
もちろん歴史学者ではないけれど、加害者でもあり被害者でもあるという立場をとる著者の気持ちに、普通の日本人として共感を覚える。
その辺りがさすが数学者、歴史観も理論立てて説明されていて分かりやすく、
どうしてあのような結果を招いたのかがとても納得できた。
しかしです、私は
読書の仕方が悪いのか
忍耐力は未だについていない。
著者によると
これは、子どもの頃、
特に小学生の時がその力をつけるチャンスのようです。
残念!!
とき遅かりし。
この著名な数学者は作家新田次郎と藤原ていの息子としても名が知れているし、
彼の書くエッセイは読みやすくて、その内容も個人的に好みだ。
『祖国とは国語』は2000年から3年間にわたり新聞掲載されたエッセイをまとめたものらしい。
どおりで読みやすい。
ただし、20年ほど前のことではあるけれど、それを差し引いても楽しめる内容だった。
タイトルを見るだけで、どんなことが書かれているのか
だいたいの想像がつく。
ただ、著者曰く「なお、題名の「祖国とは国語」は、もともとフランスのシオランという人の言葉で、それを私の敬愛する今は亡き山本夏彦さんが引用したのを、あまりにカッコよいのでちゃかり再引用したものである」
なのでこのタイトルはオリジナルではない。
この私でさえ、自分の子どもが小学生の頃から、声を大にして唱えておりましたですよ(笑)
日本人なら「読み、書き、そろばん! 読み、書き、そろばん!!」
もちろん誰にも得手不得手があるけれど、読む人は書ける。
だから、作家を志す人に「とにかく読みなさい」というアドバイスがあるのだ。
読まないと書けない。
数学にしても国語力がないと理論を理解できないだろうしね。
計算が早くても文章題のできない生徒はいっぱいいる。
計算が遅くても難しい問題を解く生徒もいる。
だから、医師にして作家、
藤原正彦のように数学者にしてエッセイストというのは
当然ながらあり得る。
読書好きの人は多い。
しかし、作者が言うのは
読書は我慢強さと結びつく、ということ。
そう、文字を追いながら本を読むことは
彼が言うように映像と音声が向こうからやって来るテレビとは違い
ずっと忍耐力を必要とする行為なのだ。
そして、その忍耐力や粘り強さがなければ考え続ける力は養われず、
すぐに諦めてしまう。
数学の問題を解く力がないのではなく、考え続ける力がないのだ。
我慢強さはあらゆる場面において必要なのだ。
これが当時(十年も続く経済不況に対する政府の政策が、すべて空振りとなるのを、国民が脱力感とともに眺めていた時期)の日本の現状を憂いた著者の日本語絶対論である、ようだ。
はい、はいおっしゃる通りで
反論の余地はない、と思う。
全く同感である。
そうだ、そうだ〜、
グローバルとかなんちゃら言って日本語である国語を疎かにし
日本語の語彙に乏しく、自分の国の言葉で何一つ考えを語れない
大人にするのは一体誰だ〜???
と仕事仲間としょっちゅう嘆いていることです。
。
語彙力がないと考える力はつかない。
人間は言葉で思考するのだ。
p.70 人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言ではない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。
とは言え、これは我々大人達の責任でもありますね。
そのような教育をしてきたのだから。
しかし、ここで言いたい。
この国のリーダー達の語彙力を知るにつれ
そりゃあ、あかん!!
と誰でも思うんじゃない?
語彙力も、加えて言えば忍耐力もないから、
アホみたいな中身のない議論(議論にもなってない。だって、自分の言葉がないから)
で時間を潰し、それも国民の血税でだ。
アホを百万回言っても私などは気が済まない。
p.75 ここでいう情緒とは、喜怒哀楽のような原始的なものではない。それなら動物でも持っている。もう少し高次のものである。
高次の情緒とは何か。それは生得的生得にある情緒ではなく、教育により育まれ磨かれる情緒と言ってもよい。たとえば自らの悲しみを悲しむのは原初的であるが、他人の悲しみを悲しむ、というのは高次の情緒である。
ということで、この国のリーダー達に高次の情緒を望むことは
今や不可能。
書けばきりがないけれど、なるほどなぁと思わされる。
続く「愛国心と祖国愛」も後半部分の「満州再訪記」では
彼の国家観や第二次大戦での彼の両親のことなどが書かれていて、
知らなかった事を、知りたいと思っていた事が分かった、つもり(笑)
日露戦争から日中戦争、第一次大戦、太平洋戦争、そしてどうしてあのような結果を招いたのかをとても分かりやすく書いていた。
もちろん歴史学者ではないけれど、加害者でもあり被害者でもあるという立場をとる著者の気持ちに、普通の日本人として共感を覚える。
その辺りがさすが数学者、歴史観も理論立てて説明されていて分かりやすく、
どうしてあのような結果を招いたのかがとても納得できた。
しかしです、私は
読書の仕方が悪いのか
忍耐力は未だについていない。
著者によると
これは、子どもの頃、
特に小学生の時がその力をつけるチャンスのようです。
残念!!
とき遅かりし。
コメント
私も激しく共感します。
読み、書き、そろばん。中でもまずは「読む」こと。母国語を豊かにしなければ、と。小学生のうちは時間割の3分の1、いえ半分?は「国語」でいいんじゃないでしょうか?
いまの日本のリーダー、なにが腹立たしいってあの言葉の貧相さ。恥ずかしくて我慢なりません(怒
全く、その通り。 大いに賛同します。
それにしても、懐かしい!!
昔、お母様の藤原ていさんの講演会に行ったことがあります。
大陸から引き揚げてくるときの話。 身を挺して、息子たちを守った話。
その息子さんが、この方なんですね~。
在りし日の、毅然となさっていた、ていさんのお姿が浮かんできます。
私が小学生。中学生の頃は今より国語の時間が多かったように思います。この著者が言うように国語の時間を増やすべきだし、国語は単なる伝達の道具ではありません。
特に読むが大切で、極端な話になりますが「聞く」と「話す」は誰でも出来るようになります、赤ちゃんが言葉を覚えるように。
言葉を知らないから思考できないのも当然です (怒!)
でも、そう言う人たちを支持する人たちがいるのも現実で、
不思議で仕方ない... ...。
「読み」は特に大切ですよね^^
藤原ていさんの『流れる星は生きている』は未読ですが、母親であるていさんと著者一家の『満州再訪』がこの本に収められていて、それを読んであの頃も日本は行き当たりばったりの政策しかなく、挙句の果てには関東軍が入植者と下級兵士を置き去りして逃げてしまった結果の悲劇だと呆れてしまいました。その関東軍のNo.2が岸伸介だったと知ってもう... ...。
トニー谷を思い出しました〜〜(笑笑)
きゃあ〜(笑笑)