クリスマスプレゼントは虫めがねに決まり! 『センス・オブ・ワンダー』 新潮社
2019年12月4日 本
" The Sense of Wonder "
レイチェル・カーソン著
上遠恵子訳 1996年
レイチェル・カーソンと言えば、その著書『沈黙の春』は環境汚染について告発した内容で画期的で大きな反響を呼んだ。
もう随分と前に、環境汚染に詳しい医師から薦められて読んだ。
そしてこの『センス・オブ・ワンダー』も同時期に読んでいたはずだけれど、
その頃はもう子育ても終わる時で、少なくとも三人の子ども達は小学高学年か中学生になっていたので、もうそれほどピンとこなかった (手遅れ感または諦め感があった)のかも知れない。
具体的に言えば、最近4歳10ヶ月児の母親が、子育てに悩んでいる、
と母親の私に言うことが増えた。
悩んでいるから相談に乗って、と言うのでもない。
だって、私が思ったことを言うと明らかに不機嫌になることがあったので、
以降それをすることはやめた。
とりあえずは「子育ては大変だし、誰だって悩むよ。一人目はそうでなくても二人目ができると余計に! 私もそうだった」くらいは言っておく。
(二次災害を被りたくない 笑)
ただの愚痴なら聞くだけでいいのかと思うけれど、
子への叱り方や接し方を見ているとそうではないようだ。
私は口は出さないけれど (二次災害を被りたくない 笑)
4歳10ヶ月児にも、
ええ加減お母さんの言っていることを素直に聞いてね、
と思うのだが、
お母さんをとことん怒らせる… … 。
これが確信犯的なものか?
しかし、最後には結局泣いてるやん!
泣くまで怒らせるな、泣かすまで叱るな
と頭で考えるのはそれほど難しくはない。
しかし、自分の子と自分以外の人の子は、
なぜだろう不思議なんだけれど、
違うのだ。
え!、ホントに違うのか?
簡単に言えば、感情かな?
ま、この私が「子育て」を口にするなど
考えてみれば、
考えなくても、
そんな資格は一ミリもない (のでした)。
今頃気づくなんて!(バカ! 笑)
わかっていることは
私はまったくもって賢い母親になれなかったし、
その娘もそうなる可能性が大なので、
こりゃあいかん、と危惧するのです。
世の中には子を叱る時、
二種類の親がいる。
感情的になる親と
冷静でいられる親。
もちろんどちらが良いか?などと言う問いは愚問だ。
閑話休題
『センス・オブ・ワンダー』の話。
4歳10ヶ月児や5歳6ヶ月児と一緒に過ごすと、彼らの好奇心に翻弄される。
そして色んなことをこの私に訊いてくる。
度々、答えに窮する。
しかし、知ったかぶりはできないので、
検索などする。
数日前にもそんなことがあって、
先に言われた。
「haちゃん、検索してみてよ」
あ〜、だめだなぁ。
もっと自分で考えたり、調べるのもネットではなくて
本を開いて… …、そしてすぐに答えを教えるのもダメね、
とその時に反省したのでした。
一緒に考えようよ、とか
一緒に調べてみようよ、とか
言うべきかと。
で、この本を思い出して出してきた。
ページ数は少ないのですぐに読み終えた。
今年は何にしようか、と悩んでいたクリスマスプレゼントが決まった。
虫めがね。
もちろんこの本に影響されて(笑)
4歳10ヶ月児に探りを入れてみた。
あまりにも期待はずれでがっかりされたら、こちらのがっかり度は5倍増しだ。
悩んで、お金使って結果、がっかりされたらたまらん。
「虫めがねでhaちゃんと公園に行って虫やお花やこの前みたいにどんぐりとかも観察しない? 楽しいと思うよ」と言うと色好い返事無し。
そしたら、今日娘が「クリスマスプレゼントは虫めがねで、それ持って公園に行ったりしたいんだよ、って言ってるよ」と。
あら、お母さんには内緒にしていたのにね^^
「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性」
さて、私も子どもと一緒に探したり、観たり、耳をすませたりすれば、
少しは新鮮な感受性に触れることがあるかな。
あれは何に?
それはどうして?
あ〜、私にもまだまだあるね〜、知らんことが!
って
私には虫めがねじゃなくて
拡大鏡が必要だわ、マジで。
レイチェル・カーソン著
上遠恵子訳 1996年
レイチェル・カーソンと言えば、その著書『沈黙の春』は環境汚染について告発した内容で画期的で大きな反響を呼んだ。
もう随分と前に、環境汚染に詳しい医師から薦められて読んだ。
そしてこの『センス・オブ・ワンダー』も同時期に読んでいたはずだけれど、
その頃はもう子育ても終わる時で、少なくとも三人の子ども達は小学高学年か中学生になっていたので、もうそれほどピンとこなかった (手遅れ感または諦め感があった)のかも知れない。
具体的に言えば、最近4歳10ヶ月児の母親が、子育てに悩んでいる、
と母親の私に言うことが増えた。
悩んでいるから相談に乗って、と言うのでもない。
だって、私が思ったことを言うと明らかに不機嫌になることがあったので、
以降それをすることはやめた。
とりあえずは「子育ては大変だし、誰だって悩むよ。一人目はそうでなくても二人目ができると余計に! 私もそうだった」くらいは言っておく。
(二次災害を被りたくない 笑)
ただの愚痴なら聞くだけでいいのかと思うけれど、
子への叱り方や接し方を見ているとそうではないようだ。
私は口は出さないけれど (二次災害を被りたくない 笑)
4歳10ヶ月児にも、
ええ加減お母さんの言っていることを素直に聞いてね、
と思うのだが、
お母さんをとことん怒らせる… … 。
これが確信犯的なものか?
しかし、最後には結局泣いてるやん!
泣くまで怒らせるな、泣かすまで叱るな
と頭で考えるのはそれほど難しくはない。
しかし、自分の子と自分以外の人の子は、
なぜだろう不思議なんだけれど、
違うのだ。
え!、ホントに違うのか?
簡単に言えば、感情かな?
ま、この私が「子育て」を口にするなど
考えてみれば、
考えなくても、
そんな資格は一ミリもない (のでした)。
今頃気づくなんて!(バカ! 笑)
わかっていることは
私はまったくもって賢い母親になれなかったし、
その娘もそうなる可能性が大なので、
こりゃあいかん、と危惧するのです。
世の中には子を叱る時、
二種類の親がいる。
感情的になる親と
冷静でいられる親。
もちろんどちらが良いか?などと言う問いは愚問だ。
閑話休題
『センス・オブ・ワンダー』の話。
4歳10ヶ月児や5歳6ヶ月児と一緒に過ごすと、彼らの好奇心に翻弄される。
そして色んなことをこの私に訊いてくる。
度々、答えに窮する。
しかし、知ったかぶりはできないので、
検索などする。
数日前にもそんなことがあって、
先に言われた。
「haちゃん、検索してみてよ」
あ〜、だめだなぁ。
もっと自分で考えたり、調べるのもネットではなくて
本を開いて… …、そしてすぐに答えを教えるのもダメね、
とその時に反省したのでした。
一緒に考えようよ、とか
一緒に調べてみようよ、とか
言うべきかと。
で、この本を思い出して出してきた。
ページ数は少ないのですぐに読み終えた。
今年は何にしようか、と悩んでいたクリスマスプレゼントが決まった。
虫めがね。
もちろんこの本に影響されて(笑)
4歳10ヶ月児に探りを入れてみた。
あまりにも期待はずれでがっかりされたら、こちらのがっかり度は5倍増しだ。
悩んで、お金使って結果、がっかりされたらたまらん。
「虫めがねでhaちゃんと公園に行って虫やお花やこの前みたいにどんぐりとかも観察しない? 楽しいと思うよ」と言うと色好い返事無し。
そしたら、今日娘が「クリスマスプレゼントは虫めがねで、それ持って公園に行ったりしたいんだよ、って言ってるよ」と。
あら、お母さんには内緒にしていたのにね^^
「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性」
さて、私も子どもと一緒に探したり、観たり、耳をすませたりすれば、
少しは新鮮な感受性に触れることがあるかな。
あれは何に?
それはどうして?
あ〜、私にもまだまだあるね〜、知らんことが!
って
私には虫めがねじゃなくて
拡大鏡が必要だわ、マジで。
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