『南国に日は落ちて』 集英社
2017年11月12日 本 コメント (2)
マヌエル・プイグと言えば『蜘蛛女のキス』は大好きな作品で、これは映画化もされている。
須賀敦子の『塩一トンの読書』にある「北の深さ、南の優しさ」というタイトルのエッセイに彼の作品『南国に日は落ちて』というのを見つけた。
懐かしい〜プイグ!♫
過日、図書館で借りてきた。
前半は80歳を過ぎたの二人の姉妹の対話だけで進むので、
舞台の上に設えられたソファに座っての二人芝居みたいな印象を受けた。
プチブルのおばあちゃん二人の世間話や昔の思い出話が展開されるだけで、最初は作品の形が捉え難い。
二人は未亡人で子どもたちとは離れて住んでいることと、
性格が見事に対照的であることが会話での反応で見えてくる。
後半の手紙のやり取りでは、
当の姉妹以外の人間関係も絡んできて、
ニディアとルシの置かれている環境が分かってくる。
この作品はプイグの遺作で、彼がこれを書いたのは亡くなる2年前56歳の時。
この姉妹のように老後を経験したわけでもなく、ましてや女性としての老後などわかるはずもない。
彼の近くにこのモデルとなる女性がいたのだろうか?
しかし、彼はそれを描いた。
決して老いを否定的に捉えるのではなく、
老いてなお…情熱や自立を目指す姉妹を描く。
近隣の女性の恋沙汰話や家族との同居を拒むエピソードに
それを見ることができる。
そこには、自分の人生を生きたいという思いがある。
巻末にあるこの作品の翻訳者野谷文昭によれば
この作品のテーマは「老いと再生」だ。
そして、最後のページにあるニディアのエピソードに
私は思わずにんまりし、その後に拍手喝采したい思いにかられた。
須賀敦子はこの部分を
「読者は南の太陽の暖かさと、北国にはないユーモアに満ちた最後のどんでん返しにほっとする。固い北の深さと、柔軟な南のやさしさか」と書いている。
須賀敦子の『塩一トンの読書』にある「北の深さ、南の優しさ」というタイトルのエッセイに彼の作品『南国に日は落ちて』というのを見つけた。
懐かしい〜プイグ!♫
過日、図書館で借りてきた。
リオで暮す妹ルシのもとへブエノスアイレスからやってきた姉ニディア。片やロマンチスト、片やリアリストの二人は隣りの女性やハンサムなガードマンをめぐって噂話に花を咲かせる。だが、妹は息子の転勤にともないスイスへ移住、南国を偲びつつその地で病死する。周囲のはからいで妹の死を知らされない姉は、リオで待ち続け、妹に宛てて手紙を送り続ける。ところが、彼女は信頼していたガードマンに裏切られ、傷心のままブエノスアイレスに戻るのだが…。
前半は80歳を過ぎたの二人の姉妹の対話だけで進むので、
舞台の上に設えられたソファに座っての二人芝居みたいな印象を受けた。
プチブルのおばあちゃん二人の世間話や昔の思い出話が展開されるだけで、最初は作品の形が捉え難い。
二人は未亡人で子どもたちとは離れて住んでいることと、
性格が見事に対照的であることが会話での反応で見えてくる。
後半の手紙のやり取りでは、
当の姉妹以外の人間関係も絡んできて、
ニディアとルシの置かれている環境が分かってくる。
この作品はプイグの遺作で、彼がこれを書いたのは亡くなる2年前56歳の時。
この姉妹のように老後を経験したわけでもなく、ましてや女性としての老後などわかるはずもない。
彼の近くにこのモデルとなる女性がいたのだろうか?
しかし、彼はそれを描いた。
決して老いを否定的に捉えるのではなく、
老いてなお…情熱や自立を目指す姉妹を描く。
近隣の女性の恋沙汰話や家族との同居を拒むエピソードに
それを見ることができる。
そこには、自分の人生を生きたいという思いがある。
巻末にあるこの作品の翻訳者野谷文昭によれば
この作品のテーマは「老いと再生」だ。
そして、最後のページにあるニディアのエピソードに
私は思わずにんまりし、その後に拍手喝采したい思いにかられた。
須賀敦子はこの部分を
「読者は南の太陽の暖かさと、北国にはないユーモアに満ちた最後のどんでん返しにほっとする。固い北の深さと、柔軟な南のやさしさか」と書いている。
コメント
あの映画は衝撃的でした。主人公二人の演技もすごかったですね、ウイリアム・ハートがあんな演技をするなんて!!♫ 大好きな映画の一つです。
こちらの作品も会話形式で、高齢の姉妹二人の他愛のない日常話で綴られています。
「男を見る目」から当時の南の国における社会変化や南北問題を語る二人を想像しながら読むと楽しさと共に、「誰の人生も似たり寄ったりで、すんなりなんていかない」というどこにでも転がっている人生の普遍性に行き当たります^^