このところ
時間の余裕がない。

この一ヵ月、
映画にも行けなかったし
本をゆっくり読む時間もなかった。


でも、とりあえず鞄の中にはいつも一冊文庫本を入れている。
仕事に行くのに、私鉄・JR・私鉄そしてバスと乗り換えが多い。
乗って20分足らずで降りて、そして乗り換えてまた20分足らずを4回繰り返して
目的地に到着という具合なので、途切れ途切れの読書(ただし、空いていて座れた時に限る)。

今日、鞄に携えていたのは須田敦子の『塩一トンの読書』というエッセイ集。
最初にタイトルになっている「塩一トンの読書」がある。
栞を挟んでいるページから読めばいいのに、毎回のようにこの冒頭の8ページを読んでしまう。
すごく好きな文章で、
つくづく須賀敦子はいいな〜、とにっこりしながら読んでいると思うww


「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
 ミラノで結婚してまもないころ、これといった深い考えもなく夫と知人のうわさをしていた私にむかって、姑がいきないこんなことをいった。


こんな風に始まる。

そして姑は説明する。
一トンの塩をいっしょに舐めるっていうのはね、うれしいことや、かなしいことを、いろいろといっしょに経験するという意味なのよ。塩なんてたくさん使うものではないから、一トンというのはたいへんな量でしょう。それを舐めつくすには、長い長い時間がかかる。まあいってみれば、気が遠くなるほど長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだって、そんなことをいうのではないかしら。

なるほど!と思う。


でも、時を経て、
彼女はこの喩えを、微妙にニュアンスをずらせて用いていることに気づいた。

それは読書において。
すみからすみまで理解しつくすことの難しさにおいて、古典とのつきあいが人間同士の付き合いに似ているかも知れない、と言っている。
読む度に、新鮮なおどろきに出会い続ける、それまで見えなかったものが無数の襞に隠されているのを発見する、と。



読み方にもいろいろある。
昔読んだ本を、今読むと違った印象を持つこともある(これは結構多い)
一冊の本が読み手の成長と共に新しい出会いを運んでくることもありがちなことだと思う。
それはそのストーリーの中にあることもあれば、作者への理解の中で見つけることもある。

さてさて、
よき読み手になるにはどうすればいいのかな?
私はどんな風に読みたいのか?

一トンの塩を舐めるのにはかなりの時間だけではなくて、
相当な覚悟が要りますよね?









コメント

はにゃ。
2017年10月31日14:19

須賀敦子、大好きです。
が、この本を知らなかったのでkindleでポチりました!ありがとうございます。

塩1トンは、ナメクジ体質(しょっぱいものが苦手)の私にはさらにハードルが高そうですww

hana
2017年11月2日2:12

はにゃ。さん^^

女性のファン多いですよね。
読書は、先ず楽しむことでそして、彼女が言っているように塩一トンを舐めるくらいに長く付き合わないと理解しつくせなんだな、と思いました。

これからもっと年老いて動けなくなって、独りで生きて行く時にせめて本だけは読める自分でいたいと願っているのだけれど、どうかな?^^

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