『エゴン・シーレ   死と乙女』
1918年、
人類初の世界大戦が終結した年に画家エゴン・シーレは28歳の短い生涯をあっけなく閉じた。


夭折 、
独自の作風、
そして
その女性関係 : 妹のゲルティ
場末の演芸場ダンサー のモア
元クリムトのモデルのヴァリ
向かいの家に住む二人の姉妹

これらを知るかぎり
まさに
芸術家たる……です。
人並みの感性では芸術家になんてなれやしない……
ようです。


他の(中流家庭の)女性との結婚する為にそれまで苦労を共にした同棲相手のヴァリに別れを切り出し、
それも
「結婚後も毎年一緒に休暇を過ごすこと」を条件としたい……(はあ?エッえっええっ〜〜、どう頭をひっくり返したらそんな考えが湧いて出てくるワケ?理解不能)

その彼女が「もうやってらんない」と部屋を飛び出して行く後姿に向かって
「僕の絵には君が必要なんだー」と叫ぶ……
(オンナを馬鹿にするんじゃねぇ〜〜。どこまで厚顔?)



どう見ても
自分の「絵」のことしか
「絵を描き続ける」ことしか
考えてなかった、
その一点のみにしか
「情熱を注げなかった」
という意味では
彼にとって
「生きることは描くこと」
「描くことは生きること」
であったのだと思う。

何故なら、
いつもスケッチブックを携え、
ひとたびデッサンを始めると
一気に彼の眼差しが変わる。
何かに取り憑かれたような、
目の前の対象だけに注がれる視線は
それ以外の何ものも寄せつけない。
そこには情熱というより
神聖なるモノを感じました。

もうこうなれば仕方ない、
彼流の女性の扱い方も、この際許してあげます、受け入れて差し上げますわ……

やはり!
人並みの感性では大した芸術家にはなれない、ということですわ!

文字通り
「生と死とエロス」の芸術家。


大成功となった個展の最中に
ひっそりとした部屋の中で彼はひとり目録に手を加えていた。
彼とヴァリをモデルにした作品名を『死と乙女』に書き直していた。
嘗てのパートナーだったヴァリが従軍看護婦として赴いていた戦地で猩紅熱で死亡したとの通知を受け取ったから。


そして、
この年に
妊娠6ヵ月の妻が彼の看病の甲斐なく亡くなり、
その3日後に同じスペイン風邪で
エゴン・シーレも一生を終えた。


それにしても気になります。
あの絵の元のタイトルの『◯と乙女』
この◯は何だったのだろうか?



シューベルト
https://m.youtube.com/watch?v=3QF67Jcq1c8



予告編
https://m.youtube.com/watch?v=v0KpqxzFoHw




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