7年前に亡くなった義母は茶粥が大好きだった。
四十数年前に亡くなった父方の祖母が我が家に逗留した時には
毎朝の食卓に茶粥がのぼっていた。
一般的にお粥と言えばあの白粥をさすのだろうけれど
二人にとってはお粥は茶粥のことで、
「おかいさん」と「さん」付けで呼んでいた。

おかいさんは洗ったお米から炊くのが一番美味しい!と
義母はいつも洗米からつくっていた。
粘りも出る。
でも、その分時間もかかる。
お粥と自分で漬けたキュウリのぬか漬け、
冬には漬け物樽から白菜を出してきて
茶粥のお供にして食べていた。
「あ〜、美味しい!どんなご馳走よりこれが一番やわ。
 これがなかったあらあかん!」と言うのが食べ終わった時に
 いつも出る言葉。

祖父母は、商売で一財産を成した人だったけれど
今思えば自分たちの食に関しては本当に質素だった。
あの時代の、戦争をくぐり抜けて暮らしてきた人たちにとっては
食べることが出来る、というだけで有り難かったのだろう。
少ないお米から結構な量のお粥が出来るしね。
ただし、祖母の場合は商売に忙しくて自分でつくっているのを見たことはなかったけれど。

今朝、その茶粥をつくった。
頂いた加賀棒茶を使った、とってもいい香りがお鍋から立ち上る。
そう言えば、義母は自分で縫った晒の袋に番茶や粉茶を入れて
それを煮出して茶粥をつくっていた。

私がしたのは、ティバッグだけれど^^

それに自家製の漬け物も梅干しもないけれど
こんなに暑い日でも
茶粥はとても美味しかった。

父はことの外この茶粥が懐かしかったみたいで
「明日も食べたい」と言って寝みに行った。
お易い御用です。
でも、朝っぱらから暑いのは辛いので
夕飯の残りのご飯でつくるつもり^^
と言うと、
母が「いりお粥でいいよ」と言った。

いりお粥って
何だ?
お粥を煎るのか?^^


お盆はもうすぐ。

思い出は尽きない。










コメント

ありす
2016年8月7日5:49

茶粥!私も好きです〜d(^_^o) しかし、謎の「いりお粥」おじやのことですかね?気になります。

ハーフサイズ
2016年8月7日22:41

hanaさま
DN懐かしく拝見しました。祖父母も朝には茶粥を食べていました。
あの頃はそんなに美味しいものとは思いませんでしたが、おっしゃるように戦争の食糧不足の時には貴重だったのでしょうね。

星のナズナ
2016年8月8日23:54

こんばんは、hanaさん。
おかいさんにつられてコメントです^^
私も大好き!
夏は冷やしたおかいさんも美味しいです。
私は和歌山生まれですので、お供は梅干しや金山寺みそです。

いりお粥というのはご飯からのお粥のことではなかったかと思うのですが・・
どうでしたでしょう^^

まだまだ暑いです。
ご自愛ください。

hana
2016年8月9日12:19

ありすさん^^

茶粥お好きなんですね!?♪
謎が解けました、↓星のナズナさんがおっしゃっているようにお米からではなくて「ご飯」からつくるお粥のことです。でも、何で「いり」なんでしょう?

hana
2016年8月9日12:25

ハーフサイズさん^^

我々の祖父母の時代は日常的に食べていましたよね。
私も、あの頃は進んで食べませんでしたが、久しぶりに食べたら美味しかったです♪

hana
2016年8月9日12:35

星のナズナさん^^

そうです!
「いりお粥」はご飯からつくるお粥のことでした。ありがとうございました♫

義母は奈良県南部の生まれでした。お粥ではなくて「おかいさん」^^
自家製の漬け物や梅干し(何と言っても名産品ですものね)それと一緒に漬けた紅しょうが、赤じその葉を乾燥させて細かくした「ゆかり」やら、おかいさんの供は色々ありました。

そうですね! この季節は冷やしたおかいさんも美味しいでしょうね! 前夜に作って冷蔵庫に置いておけばいいですね^^

当分、この猛暑は続くようです。ナズナさんもご自愛下さい。

ありす
2016年8月19日6:15

謎の解けた「いりお粥」と新たに加わった「冷やしお粥」。そうなのかと変に納得です。所変われば品変わるとは本当ですね。って、今頃読んでてすみません〜(´Д` )

hana
2016年8月20日21:41

ありすさん^^

二度目のコメントをありがとうございます♫
ホント、まだまだ知らないことがいっぱいありますよね。でも、知るってエキサイティング!!ですよね! 退屈しないです^^

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