一日が終わる深夜に珍しくテレビの前に座った。
何を観たいというわけじゃなかったけれど。
で、途中からだったのですが観始めたのが
eテレの『星の子アルフェ』です。
知的障害をもつ(5歳くらいでしょうか)女の子の日常を追うドキュメンタリーで
それを撮るのは彼女の父であるカナダの映画監督です。
その自然風景があまりにも素晴らしい、と思っていたら
そこはスイス、この一家はアルフェを普通学級で受け容れてくれる幼稚園を求めて
1年という期間限定でこの場所に移り住んできたようでした(途中から観たもので…)
父と母の、珍しい遺伝子が出合い、何億分の一という確率で誕生したアルフェ。
遠足に行っても他の子どもたちと同じ行動はとれない、
いたずらっ子に何かされてもそれを嫌がる態度もない。
1,2,3…と数え方を教えるにも根気が要りますが
アルフェは常に笑顔を絶やさない。
雪山を登るのに難儀する彼女に父親が足跡のあるところを歩けば簡単さ、と教えても彼女はそうしようともしない。
それでも、いつも彼女は怒りを知らず、たとえ何かを拒否する時も
笑顔なのです。
淡々と続く(アルフェにとっては淡々と続く日常なのです)映像のところどころに
父のナレーションが入ります:
いつものことだが、きれいな身なりに香水の3人のご婦人が―
そしてご婦人たちは笑った、大きな声ではばかりもせず―
どなって彼女らの尻にかみつこうかと思った―
パパの心を裂く笑い声だ。
(自分の子どもを奇異の目で見られたら、その相手にこの子がどうしてこうなったのかを私ならとうとうと説明したい気持ちに駆られるだろう。それとも、相手に対して無礼で教養のない者だと蔑むかもしれない)
宿命かであるかのように専門家が下した診断や
お前が食べることも話すこともできないと信じていた人たちを思い返す。
お前をまだ深刻な目で見る人のことも―すると笑い出したくなる。
時が終わるまでおまえと笑っていたい。
(実際、アルフェは一年間で変化したのです^^教育について考えさせられるところです)
一年後に帰国して彼女は普通学級に入ることになります。
そして、今彼女は9歳になりました。
父は言います;(僕に対する)忍耐力に感謝する。
ある日、雄大な雪山の自然の中で父は語ります。
お前のような子を不思議に思う人はまだいる
「こう答えればいい“先祖である星や―野生の動物や―樹齢4000年のカシワの木や―我々に近い種のクジラと同じだ”
“我々は素粒子でできている。
130億年前から宇宙を漂うものだ”と。
確かに 僕たちの祖先がほんの少し変異してたらお前の体は違ってた
だが生物学の多くの事象と同じく
お前の病気は異例ではない
誰にも “異常”とは言わせるな。
奇妙で 驚くべきことではあるが “異常”と呼ぶのはふさわしくない。
こういう偶然が 僕らを形づくる 世界の歴史には不可欠なんだ。
僕らがここに存在するのも偶然ゆえだ。
大切なメッセージですね。
(あまりにも胸に染み入る言葉だったので忘れたくなくて
スマホで画面を撮りまくりましたWW)
で、その後に観たのが
関西テレビのザ・ドキュメント「いのち授かれど」
http://www.ktv.jp/document/index.html
今の日本社会の縮図を
出産についても見ることになる、という現実を突きつけられるようでした。
これについては思うところもあるのですが
また機会のある折に。
二つの番組を観て
今更ながらに感じたことは
子どもは親を選べないけれど
親だって子どもを選べない。
知らないことばかりだけれど
誰もが自分のおかれた場所で
色んな思いを抱いて生きていますね。
あ~、たまにはテレビもいいものです♪
何を観たいというわけじゃなかったけれど。
で、途中からだったのですが観始めたのが
eテレの『星の子アルフェ』です。
知的障害をもつ(5歳くらいでしょうか)女の子の日常を追うドキュメンタリーで
それを撮るのは彼女の父であるカナダの映画監督です。
その自然風景があまりにも素晴らしい、と思っていたら
そこはスイス、この一家はアルフェを普通学級で受け容れてくれる幼稚園を求めて
1年という期間限定でこの場所に移り住んできたようでした(途中から観たもので…)
父と母の、珍しい遺伝子が出合い、何億分の一という確率で誕生したアルフェ。
遠足に行っても他の子どもたちと同じ行動はとれない、
いたずらっ子に何かされてもそれを嫌がる態度もない。
1,2,3…と数え方を教えるにも根気が要りますが
アルフェは常に笑顔を絶やさない。
雪山を登るのに難儀する彼女に父親が足跡のあるところを歩けば簡単さ、と教えても彼女はそうしようともしない。
それでも、いつも彼女は怒りを知らず、たとえ何かを拒否する時も
笑顔なのです。
淡々と続く(アルフェにとっては淡々と続く日常なのです)映像のところどころに
父のナレーションが入ります:
いつものことだが、きれいな身なりに香水の3人のご婦人が―
そしてご婦人たちは笑った、大きな声ではばかりもせず―
どなって彼女らの尻にかみつこうかと思った―
パパの心を裂く笑い声だ。
(自分の子どもを奇異の目で見られたら、その相手にこの子がどうしてこうなったのかを私ならとうとうと説明したい気持ちに駆られるだろう。それとも、相手に対して無礼で教養のない者だと蔑むかもしれない)
宿命かであるかのように専門家が下した診断や
お前が食べることも話すこともできないと信じていた人たちを思い返す。
お前をまだ深刻な目で見る人のことも―すると笑い出したくなる。
時が終わるまでおまえと笑っていたい。
(実際、アルフェは一年間で変化したのです^^教育について考えさせられるところです)
一年後に帰国して彼女は普通学級に入ることになります。
そして、今彼女は9歳になりました。
父は言います;(僕に対する)忍耐力に感謝する。
ある日、雄大な雪山の自然の中で父は語ります。
お前のような子を不思議に思う人はまだいる
「こう答えればいい“先祖である星や―野生の動物や―樹齢4000年のカシワの木や―我々に近い種のクジラと同じだ”
“我々は素粒子でできている。
130億年前から宇宙を漂うものだ”と。
確かに 僕たちの祖先がほんの少し変異してたらお前の体は違ってた
だが生物学の多くの事象と同じく
お前の病気は異例ではない
誰にも “異常”とは言わせるな。
奇妙で 驚くべきことではあるが “異常”と呼ぶのはふさわしくない。
こういう偶然が 僕らを形づくる 世界の歴史には不可欠なんだ。
僕らがここに存在するのも偶然ゆえだ。
大切なメッセージですね。
(あまりにも胸に染み入る言葉だったので忘れたくなくて
スマホで画面を撮りまくりましたWW)
で、その後に観たのが
関西テレビのザ・ドキュメント「いのち授かれど」
http://www.ktv.jp/document/index.html
今の日本社会の縮図を
出産についても見ることになる、という現実を突きつけられるようでした。
これについては思うところもあるのですが
また機会のある折に。
二つの番組を観て
今更ながらに感じたことは
子どもは親を選べないけれど
親だって子どもを選べない。
知らないことばかりだけれど
誰もが自分のおかれた場所で
色んな思いを抱いて生きていますね。
あ~、たまにはテレビもいいものです♪
コメント
確かに、異常がなければ普通もない。ところが、最近は、胎児の遺伝子レベルで「異常」が見つかると堕胎してしまう。
これが極まれば、普通の人ばかりの社会になり、異常という視点から普通を見られなくなる。
分かりません。私が結婚しないのも子供をもうけないのも、妹が「異常」な病気で果てしなく悲惨な人生を終えたからです。もし、もう一度妹が生まれてきたら、生きろと背を押してやれるかどうか。私には無理です。背を押さなくても、本人は生きることを選ぶかな。
筋肉ジストロフィー(だと思います)で亡くなった有名な英国の女性チェロ演奏家についての映画(タイトルが思い出せません)を観て激しく迷いました。
滅多に見ないテレビですが、あの夜はたまたまでしたがラッキーでした。
予定ではあと3ヶ月余で初孫の顔を見るので、「五体満足に」と願わない日はありません。でも、もしそうでなかったら、という思いもいつも心のどこかにあるのも本心です。
私はlisterさんとは違う視点でこの番組を見ていました。
父親の「こういう偶然が 僕らを形づくる 世界の歴史には不可欠なんだ。
僕らがここに存在するのも偶然ゆえだ」という言葉に感動を覚えました。
知的であろうと身体的であろうと障害を持つ子どもや大人に対して健常である者は何が出来るのか、すべきなのかを考えていました。
どうして異常をもつ人は社会に憚って生きなければならないのでしょうか?
<異常>であることが理由であるならば<普通>である者にもどのように生きるべきかという理由があると思うのですけれど。
そのチェリストはジャクリーヌ・デュ・プレでしょうか?
映画は知りませんでしたが二十代で亡くなったと記憶しています。
ありがとうございます。映画のタイトルが分かりました。「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」です。もう一度観たい映画です。
そうですね、私も思い返すことばかりなので、この事についてはまだまだ考えていくべきだと思っています。
死生観についても。
映画のタイトルお役に立てて良かったです!
コメントありがとうございます。
なのに、今頃気づいて申し訳ありません。
私は滅多に見ないテレビでこの番組に出会えたことはラッキーでしたが、最初から観ることができずに残念です。
父親のナレーションが素敵でしたね。
再放送して欲しいと思いますが、年末の再放送がこの日だったようですね。
コメントうれしかったです♪